『ヘルムート・シュミット対談集』

ヘルムート・シュミット対談集―回顧から新たな世紀へ

ヘルムート・シュミット対談集―回顧から新たな世紀へ

 もう国際緊張とも、戦争とも無縁かと思われたヨーロッパが、ウクライナを舞台に、にわかにきな臭いなってきた。そんななかで、ヨーロッパに関心が高まり、お勉強。本棚を見ていたら、発見したのが、知性派で知られたドイツのヘルムート・シュミット元首相の対談集。「回顧から新たな世紀へ」という副題がついているように、21世紀の到来を前に、1997年、既に首相を退いた後、テレビの企画で、旧知の政治家たちと対談したものだが、その顔ぶれがともあれ豪華。目次をもとに紹介すると、こんな人たち。

リー・クアン・ユーシンガポール
・アジアと21世紀の大国中国
ジミー・カーター(米国)
・冷戦から融和へ
シモン・ペレスイスラエル
・世界平和の構築は可能か
ヴァレリー・ジスカールデスタン(フランス)
・ヨーロッパ統合へ向けて−−フランスとドイツの歩み
ラルフ・ダーレンドルフ(英国/ドイツ生まれ)
・世界主義者から見たヨーロッパ統合
ミハイル・ゴルバチョフ
ソ連崩壊とドイツ統一を経て新たな世界へ
ヘンリー・キッシンジャー(米国)
・世界経済の安定を求めて
ヘルムート・コール(ドイツ)
・ドイツ首相の責任と次世代へのメッセージ

 うーん。すごい。まさに一つ一つが首脳会談。しかも、知的レベルが高い。昔の政治家が立派に見えてくる。冷戦の崩壊前後は、知的な政治家たちの英知と行動の時代だったのだなあ。
 どこを読んでも刺激的で、ポストイットを付けていったら、ポストイットだらけになってしまった。そんななかから、いくつか抜き書きをすると...
 まず、リー・クアンユーリー・クアン・ユー)。このアジアの賢人政治家とシュミットの対談を読むと、最大の関心事は大国化する中国。そして日本の信用の欠如かもしれない。
 シンガポールでは、日本軍の占領下で中国人の組織的な虐殺が行われた。リー・クアンユーは、中国人の捕虜収容所に入れられるが、輸送トラックに乗るようにいわれたところを逃げ出し、九死に一生を得ている。それが日本人観の根底にある。そのあたりのくだりから日本について、リー・クアン・ユーの話。

日本人が侵略者としてやって来て、中国人やシンガポール人を処刑しようとしました。中国での抗日戦争を支援するため、彼らが外国に住んでいるすべての中国人から金を集めたという理由からでした。(略)男も女も子供もすべての中国人が捕虜収容所に集められました。そこで彼らは、怒りの対象となった若者たちを見境なく探しだし、追い立ててトラックに乗せました。わたしの番になったとき、トラックから逃れないといけないことがわかっていました。だから、「服を忘れたので、取ってきてもいいですか」と聞いてみました。その日本人は、「よし」と答えました。そこでわたしは姿をくらまして、二日間隠れ続けました。しかしトラックに乗せられた若者たちは全員殺害されました。日本人は横暴で残虐で、人々が恐怖に身震いすることを望みました。十万人の中国人が追い立てられて浜辺に集められ、銃で射殺され、魚の餌として投げ込まれた、と何人もの人がいっています。

 リー・クアンユーの場合、実体験として日本の戦争犯罪があったわけだ。そして...

 中国人は、日本人を捕虜にしたとき、同じやり方で日本人を扱いました。ですから、日本の兵士は、中国の前線に送られるときにはとても恐れました。日本人と中国人とがこの見境のない残虐性を乗り越えるには、時間がかかるでしょう。日本人が、人権について語るとき、信頼できません。そういったことすべてが再び話題になるだろうと考えて、彼らはこのテーマを避けます。そして彼らは一度もそのことを詫びたことがないのです。そればかりか否認さえするのです。このことをわたしは愚行の上塗りと思っています。もし日本人が、ドイツ人−−東ドイツ人ではなく、西ドイツ人−−がしたように旗幟を鮮明にし、「それは大変な過ちでした。われわれは深く恥じ、率直にお詫び申し上げます」といえば、そのときアジアの雰囲気は変わると、わたしは思っています。

 重いなあ。アジアを代表する世界有数の政治家の発言だけに重みがある。シンガポールは表立って、日本を批判することはないし、経済成長については日本に学ぶ姿勢を明確にしているが、そこの政治家は心の底で、こう思っているわけだ。尊敬されている政治家だけに、日本人に対する不信感は受け継がれていくのだろうし、交流のある欧米のトップレベルの政治家たちの日本観を形成していくことにもなるのかもしれない。政治家の実体験から出てきている言葉だけに、自虐だ、売国だという前に、このあたりはきちんと認識する必要があるのだろう。
 リー・クアンユーは小国の政治家だけに、リアリストであり、中国の現実も冷徹に読む。例えば、こんな話...

 人権に関していえば、中国人が天安門広場での撃ち合いを誇りにしているとはわたしには思えません。それは気違い沙汰でしたが、訒小平は、混乱を目にした後、さらに二十、三十の年に広がって統制がきかなくなることを恐れたのだということを中国人は知っています。だから、「二百人の学生を射殺しろ、必要なら二千人を」と彼はいったのです。それは甚大な影響を及ぼす決定でしたが、彼には選択の余地がなかったのだと私は思っています。学生たちがこの日勝利したと想定してみましょう。中国は混乱に陥ったでしょう。

 リアリストだなあ。リー・クアンユーでも同じ決断をしたということだろうか。でも、こうも続ける。

 しかしわたしは、今日で誰もがテレビや衛星放送受信機をもち、イスラエルルワンダあるいはボスニアでの出来事を見ているので、残虐な行為や拷問はどこでも受け入れられなくなってきていると思います。こうして同様の人権理解が世界中に進展していくでしょう。中国人には時間の猶予が必要です。何年かかるかはわたしにもわかりません。もしかすると二十年、三十年かもしれません。そうなると彼らも人権に関しては世界的な水準に近づくでしょう。

 中国の成熟を待つのかあ。歴史認識については、日本も成熟を待ってもらう立場かな。
 リー・クアンユーが、米国は中国の文化を理解していないと批判したのに対して、シュミットの反論...

 それはお互いさまですよ。あなたのおっしゃる通り、アメリカ人は中国の文化的伝統を理解していません。彼らの考え方が中国人に受け入れられることを最高に望んでいます。中国人の方もアメリカを理解していませんし、さらによくないのは、日本と中国とが理解し合っていないということです。相互の文化的理解には大きな隔たりがあります。中国人とヨーロッパ人については問題はありません。というのは、われわれは互いに遠く離れて暮らしていますし、ヨーロッパは戦略上の超大国ではないからです。しかしながら、アメリカ、日本そして東アジアの他の国々との関係においては、大部分相互理解とその意志さえも欠けているのです。アメリカが中国とロシアの双方へ圧力をかけた結果、ロシアと中国の両大国は、長い間には、われわれが六十年代から八十年代に体験した異常に親密につき合うようになるかもしれません。そうなればアメリカ人にとっては思いもかけない不愉快なことでしょうね。

 ロシアと中国の接近...いま起きているかも。しかし、相互理解の努力をしない国は米国と日本か。どっちも、ボクのことをもっと知ってねタイプの国かも。
 相互理解について、シュミットの発言...

 中国が大国になる、あるいは、わたしの考えではもうすでにそうなのですが、そのことが人々が恐怖を抱かねばならないかどうかという問いは誤っていると思います。事実は事実として認め、事実として受け入れなければなりません。リーさんが蠟小平との会話について語られたことの中には一つの教訓が含まれています。互いに多くを話せば話すほど、耳を傾ければ傾けるほど、相互理解の確率は高くなるということです。例えばもう大分前になりますが、中国人を、ロシア人も、G7のサミットの席へ、資格を充分に備えた参加者として招くようにわたしは提案しました。アメリカが今日までに中国に対して課している外交的な、いわば封鎖期間を取り返しのつかないことだと思っています。それがオープンな対話を妨げているからです。もともと四半世紀前のニクソンキッシンジャーといった人々は、今日の上院議員の何人かよりももっと寛大でした。

 なるほど。リー・クアンユーヘルムート・シュミットの対談だけでも、こんな具合。
 これ以外にも、和して同ぜずという姿勢を貫いた米国との関係をカーターと語ったり、欧州における平和の実現、欧州通貨ユーロ誕生への思い、外交における対話の重要性(冷戦時代でもコミュニケーション・チャンネルは必ず開けておく)、国際政治における友情のあり方(フランスのジスカールデスタンとシュミットの親密な関係が独仏の関係を強固なものにした)、ユダヤ人虐殺という原罪を背負ったドイツとイスラエルとの関係、世論が感情に流されがちなテレビ時代の政治の難しさ、そして、かつては国内の政敵であったが、のちにドイツ首相となったヘルムート・コールと語るトップの孤独などなど、どこもかしこも興味深かった。
 ともあれ、シュミットでインテリで、ゴルバチョフに、こんな話もしていた。

ロシアを訪れたハーバード出身のある人に、「ロシア民族がどのように行動するかを知るために、そもそもあなたはドストエフスキーを何頁読みましたか」と私は尋ねました。

 たはは、と言った感じ。ロシア人を知るには、ロシア文学から...か。しかも、ドストエフスキーかあ。
 全体を通して感じるのは、ヘルムート・シュミットは、理想を持ちながらも、徹底した現実主義で、未来については悲観的に考えて準備するタイプの政治家であること。
 そんなシュミットに、イスラエルシモン・ペレスが一言...

未来について予想するだけではいけません。未来は作らなければならないものなのです。

 これもいい言葉です。