天安門事件から四半世紀もたったのだなあ
中国の北京で、民主化を求める学生らの運動が武力で鎮圧されて大勢の死傷者が出た天安門事件から、4日で25年になります。習近平指導部は、民主化を求める人々の言論活動に対する弾圧を強めており、共産党の一党支配への批判を力で封じ込めようとしています。
天安門事件が起きたのは、1989年6月4日。あれから、もう四半世紀がたつのだなあ。中国では歴史から抹殺されているというが、日本でも大学で外交を教えている先生が、いまの学生は天安門事件のことも知らない、と嘆いていた。天安門事件といえば、戦車の隊列の前に、ただひとり立ちはだかる若者の写真を思い出すが、その学生さん、「そんなことしたら、危ないじゃないですか」と言ったとか...。25年というのは、そういう歳月なのだなあ。
下のような記事が出るのも、それだけ天安門事件が日本で風化していることか。というか、風化させた責任を追及しているのか。
★ 天安門事件を糾弾してこなかった日本 米国は25周年イベントで中国に「改心」を迫る:JBpress(日本ビジネスプレス)
一方で、シンガポールの賢人政治家といわれるリー・クアン・ユーの本を読んでいると、天安門事件の武力弾圧は「気違い沙汰」としつつも、中国という巨大な人口を抱えた多民族国家を統治していくうえで訒小平が鎮圧に動いたことについて理解を示している。人権を絶対視する欧米の価値観で中国やアジアを見てはいけないというんだけど...。
★ グラハム・アリソン、ロバート・D・ブラックウィル、アリ・ウィン『リー・クアンユー、世界を語る』を読んで - やぶしらず通信
★ 『ヘルムート・シュミット対談集』を読んで - やぶしらず通信(リー・クアン・ユーとの対談が収録されている)
ともあれ、どう考えるにせよ、最小限、歴史として残さなければねえ。中国が事件自体を歴史から消そうとし続ける限り、成熟した国家にはなれないし、国家として国民も海外も信頼しないことになってしまうなあ。良いことも悪いことも自分の国の歴史を直視しないとなあ。他人事じゃないけど。
★ 六四天安門事件 - Wikipedia
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