カルロ・アンチェロッティ、片野道郎『アンチェロッティの戦術ノート』

アンチェロッティの戦術ノート

アンチェロッティの戦術ノート

 「攻撃サッカー」を標榜したザッケローニ監督の日本代表のワールドカップでの惨敗ぶりに、もう一度、サッカー戦術論を読みたくなって、手にとった本。レアル・マドリードを復活させた名将、カルロ・アンチェロッティの自伝的戦術論。アンチェロッティには、レアルの話も盛り込んだ新著『アンチェロッティの完全戦術論』が出ているが、こちらは、チェルシーに移ったばかりの2010年の本。片野道郎がアンチェロッティの話を聞き書きしたものなので、読みやすい。そして内容としては、現代のサッカー戦術がわかりやすく解説されていて、ともかく面白く、刺激的。そして読めば読むほど、「攻撃サッカー」、「日本らしいサッカー」って何だったの?という気がしてくる。そして、短期決戦のワールドカップを戦う準備ができていたのかどうか、わからなくなる。まあ、このあたりは選手たちが自覚していて、後悔の日々を送っているんだろうけど...。
 目次で内容を見ると...

序章 チェルシーという挑戦
 1.ミランからチェルシー
 2.チェルシーのチームコンセプト
 采配ノート1
 2009年〜2010年/チェルシー
  チェルシーアーセナル 2−0
1 キーワードで語る戦術論
 1.ボールポゼッション
 2.裏のスペース
 3.攻守のバランス
 4.攻守の切り替え
 5.プレッシング
 6.攻撃的サッカー
 采配ノート2
 2001〜2004年/ミラン
   01〜02シーズン シーズン途中でのミラン監督就任
   02−03シーズン ユヴェントスを破ってチャンピオンズリーグを制覇
  ユヴェントスミラン 0−0(PK2−3)
   03−04シーズン スクデット獲得とCLでの思いがけない敗退
  デポルティーボ・ラ・コルーニャミラン 4−0
2 ポジションから見る選手論
 1.ミッドフィールダー
 2.センターフォワード
 3.ウィング
 4.ファンタジスタ
 5.サイドバック
 6.センターバック
 7.ゴールキーパー
 8.キャプテン
 采配ノート3
 2004〜2007年/ミラン
   04−05シーズン ミランの完成形が経験した悪夢の6分間
  ミランリヴァプール 3−3(PK2−3)
   05−06シーズン 無冠に終わるも内容的には充実した1年
   06−07シーズン 最も困難で最も誇らしいシーズン
  ミランリヴァプール 2−1
 采配ノート4
 2007〜2009年/ミラン
   07−08シーズン 避けられぬ黄昏のはじまり
   08−09シーズン ひとつのサイクルの終わり
3 アンチェロッティの監督論
 1.新シーズンに向けた準備
 2.シーズン前半 ビッグクラブが直面する困難
 3.シーズン半ばから後半 チームマネジメントの重要性
 4.テクニカルスタッフとのコラボレーション

 戦術論から選手論、監督論まで盛りだくさん。しかも、中身も濃い。なるほどぉ、と思う指摘が多い。印象に残ったところをいくつか抜き書きすると...

 少なくとも監督という立場にとって、サッカーの戦術とは、ピッチの上で勝利を勝ち取るための手段として構築されるべきものだ。すべての出発点となるのは、サッカーというゲームはボールを保持している「攻撃」の局面と、ボールを保持していない「守備」の局面の2つに分けることができ、そしてその双方が同じだけの重みを持っているという事実である。

 ブラジル大会の日本代表では、この「同じだけの重み」がなぜ消えてしまったのだろう。謎だなあ。さらに、こんな一節も...

 勝利を勝ち取るためにボールポゼッションを高めることが重要なのだろうか? 実際のところ話はそう単純ではない。「ボールを保持する」のと「得点を挙げる」のとは、まったく異なることだからだ。両者の間に直接の連関はない。どんなに長い時間ボールを保持し続けても、敵の守備網を破ってシュートを打たない限り得点を挙げることはできない。逆に、たとえボールの保持時間が短くとも、奪ったボールを素早く敵陣に持ち込んでシュートを打てば、ほんの数秒のうちに得点を挙げることができる。したがって、ボールポゼッションはそれ自体を目的としてプレーすべきものではない。重要なのは、ボールポゼッションの「量」、つまりボールの保持時間ではなく「質」、つまりそれをいかにシュートにつなげるかの方なのである。

 日本のことを言われれいるみたいだなあ。で...

 最大の目的は、パスをつなぎボールを動かすことによって、敵陣深く相手よりも1人多い数的優位の局面を作り出すことだ。見方の誰かがフリーでボールを受けてシュートを打つ状況を作り出すこと、と言い換えてもいい。

 なるほど。日本は狭い人口密集地帯を抜くことに快感を覚えているみたいな...。
 アンチェロッティは、ボールポゼッションは「試合の主導権を握りリズムをコントロールできる」というメリットと裏腹に、「パスをつないでボールし続けることの必然的な結果として、チームの組織的なバランスが崩れること」が最大のデメリットという。サイドバックが上がった結果、ボールを奪われた時には守備の人数が足りなくなるリスクがある。要するに...

 動きのないスローなボールポゼッションは、シュートにつながる局面を作り出すという本来の目的を逸脱するばかりか、逆にその目的にとって不利な非生産的状況を作り出してしまうのだ。

 うーん。アンチェロッティの本を、選手は読んでいなかったかな。ザッケローニも。
 で、ボール支配率で喜ぶな、と...

 通常、ボール支配率に大きな差がついている試合では、少ない方のチームは最初からポゼッションにはこだわらず、自陣に引いて守備を固めカウンターを狙うという戦術を採用している場合がほとんどだ。こうした場合には、ボールを持っているのではなく持たされている状況に陥る可能性も多々ある。

 そうなんだよなあ。ボールポゼッションを効果的に使っているチームは、欧州でもFCバルセロナACミランぐらいだという。なぜか。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、ポゼッションによって主導権を握り攻撃を組み立てるよりも、ロングパスや速攻によるカウンターアタックを基本に据える方が、失点のリスクはずっと小さい。ポゼッションは、ボールを支配できる反面、すでに見たように組織のバランスを崩しやすいため、ボールを失った後に逆襲を喫する可能性が高い。守備を固めて攻撃に人数をかけないカウンターの方が、攻守のバランスはずっと保ちやすいのだ。

 日本は挑戦的であったけど、守備とのバランスをとるという難題には挑もうとしなかったのかな。
 日本は「攻撃サッカー」を標榜したけど、アンチェロッティは「攻撃的」「守備的」という言葉は定義も使われ方も曖昧だという。ボゼッションサッカーといっても、ボール支配率だけでは判断できないし、こんな場合もある。

 ビルドアップ志向が強いチームであっても、後方でポゼッションのためのポゼッションに多くの時間を割き、攻撃に人数をかけようとしない場合には、「攻撃的」と呼ぶことは難しい。自陣や敵陣の浅いところで横パスやバックパスを多用してボールポゼッションを保つ行為は、攻撃の最終目標であるゴールに直接つながらないだけでなく、相手に守備陣形を固める時間を与え、攻撃をフィニッシュまで発展させることをむしろ困難にする。

 これもわかっていたんだろうけど、やっちゃうのかなあ。で...

 指標としてむしろ有効なのは、攻撃の局面でボールのラインよりも前にどれだけの人数を送り込んでいるかということの方だろう。ボールよりも前にいる見方の数が多いほど、攻撃の選択肢は増えるしフィニッシュまで持ち込む確率も高めることが可能だ。しかしもちろん、攻撃に人数を送り込めば送り込むほど、守備に転じた時のリスクと困難は高まることになる。そのバランスポイントをどこに置くかが、チームの戦い方、つまり「姿勢」や「振る舞い」を決定づける最大のポイントである。
 ひとつのチームが攻撃的に振る舞う、すなわち人数をかけた組織的な攻撃を効果的に行うためには、ボールを扱うテクニックを備えたプレーヤー、そしてオフ・ザ・ボールの動きによって複数のソリューションを提供する運動量とダイナミズムを備えたプレーヤーを擁することが必要になる。こうした、守備の局面よりも攻撃の局面で貢献できる資質を備えたプレーヤーを多くピッチに送れば、チームの振る舞いはより「攻撃的」になるということができる。

 なるほどなあ。そして、このための各ポジションの選手の資質を論じている。
 イタリアのサッカーは守備を重視する。これはイタリア人のメンタリティに関わる問題で、イタリア人のアンチェロッティ自身も同じだという。

 私自身のサッカーも、根幹にあるのはディフェンスだ。ただし、そのまま守備的なサッカーだと規定することはできないと思っている。攻撃と守備という2つ局面のうちどちらか一方のいかに素晴らしくても、もう一方が欠陥だらけであれば、そのチームは決して勝てない。すでに見た通り、最も重要なのは「攻守のバランス」である。そして私のその出発点を、安定したディフェンスだと考えているということだ。もちろん、攻撃を軽視しているわけでは決してないが、出発点にオフェンスを据えた攻撃的なサッカーとは一線を画している。失点のリスクに冒してもゴールを奪いにいく攻撃サッカーは、確かにスペクタクルで感情に訴えるものだ。しかし私のサッカーは、もう少し効率的で実際的なものだといえるかもしれない。

 ザッケローニアンチェロッティと対照的だったのだな。ザッケローニは、日本サッカー協会や選手たちが求めているのが「勝つサッカー」ではなく、「見世物サッカー」だと思っていたんだろうか。上の話だと、本田の言っていた、取られたら取り返す式のサッカーは、アンチェロッティの思想とは別のもので、ACミランの根っこにあるイタリアのサッカーの価値観とも違うということだろうか。本田は、大会までの考えが間違っていたと思っているようだから、うまくリスタートできるかな。
 アンチェロッティが重視するポジションも興味深かった。

 私がチームを作る上で最も重視しているのは、センターラインを固めることだ。すなわち、ストライカー、ボランチ、CB、GKに優秀なプレーヤーを持つことだ。具体的に私の好みをいえば、戦術的な動き、特に裏のスペースを狙う動きにすぐれたストライカー、広い視野を持ちプレーのリズムを司るタイミングの感覚と正確な展開力を備えたボランチ、スピードと高さ、強さを兼ね備えたCB、そして優秀なGKということになる。センターラインさえ固まれば、残りはつけあわせのようなものだ。

 いまの日本代表をリセットすると、誰がここに並ぶのか、考えるのも面白いなあ。
 続いて、ファンタジスタ論。アンチェロッティによると...

 ファンタジスタという言葉を定義することは難しいが、敢えて私流の定義を試みれば、中盤と前線の間でプレーし、最終局面を打開してシュートに結びつく状況を作り出す仕事を担うプレーヤー、ということになる。

 現代サッカーにおける「トップ下」で、背番号でいうとすれば、10番。具体的な選手としては、ジダンであったり、カカの名前があがっている。そして...

偉大なファンタジスタに求められる資質は、タレント、すなわち「サッカーが誰よりも上手い」ことだけではない。フィジカル的に見ればスピードだけでなく持久力も必要だし、何よりもリーダーシップ、謙虚さ、利他的精神、チームスピリットといったメンタル的な要素がなければトップレベルでは通用しない。ファンタジスタは、攻撃の鍵を握る、すわなちチームの勝敗に直結した責務を担うプレーヤーであり、多くの場合チームは彼を中心に組織され、彼を活かすためにプレーすることになる。その責務を果たすためには、チームメイトの評価と信頼を勝ち取ることが不可欠だ。

 ビジネスのリーダー論にもつながるなあ。人間の組織はどこも同じということか。 
 もう抜き書きし始めるとキリがない、刺激的な本なんだが、センターバック論を最後に。

 DFはフィジカル能力にモノをいわせる割合が最も高いポジションだ、とよくいわれる。確かに、FWやMFに比較すると、繊細なボールコントロールや正確なキック力といったテクニカルな資質に対する要求水準は相対的に低い。しかし私はDFにとって最も重要なのは、フィジカル的な資質よりもむしろ戦術的な資質、つまりプレーの局面を政界に読み取り、「マーク」と「カバーリング」を的確に使い分ける能力にあると考えている。
 身長が高い方が空中戦には有利だし、スピードがあればFWとの競り合いに勝つことができる。しかし、そうしたフィジカル的資質にいくら優れていても、戦術的な資質に欠けるプレーヤーは、CBとしては通用しない。それはこのポジションが、ミスがそのまま決定的なピンチに直結する、文字通り「最後の砦」ともいえるポジションだからだ。

 なるほど。そして、さらにダメ押しを

 理想的なCBに求められる資質を挙げるとすれば、戦術的な判断力が優れていること、スピードがあること、空中戦に強いことという3つを挙げることができるだろう。身長の高さが問題ではないことは、カンナヴァーロやイヴァン・コルトバ(インテル)、カルレス・プジョール(バルセロナ)といった、180センチに満たないワールドクラスが証明している。

 背が高けりゃいいってものじゃないんだ。こちらも次代を担うのは誰なのだろう。選手を固定しすぎたザッケローニの時代が終わり、新たな選手選考が始まると、若手の選手たちも活気づくかな。
 新しい日本代表の監督は、外国人だろうと、日本人だろうと、アンチェロッティみたいに明快にサッカー論を語って欲しいなあ。納得するにせよ、しないにせよ、座標軸が提示されることで、考えたり、努力したりするだろうし。
 新しい本も読んでみるかなあ。

アンチェロッティの完全戦術論

アンチェロッティの完全戦術論