須田桃子『捏造の科学者−−STAP細胞事件』を読む:科学者に誠実さは期待できるのか?

捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件

 世紀の大発見が世紀の捏造スキャンダルに転落していく過程を毎日新聞の科学担当記者が追跡したレポート。それは科学者の誠実さに対する信頼が崩壊していく物語でもあった。この事件、節目節目にテレビや新聞で見たり読んだりしていたが、事件の流れを改めてたどってみると、小保方氏による捏造と理研による事件の隠蔽(といわれても仕方のない真相解明への消極性)が見えてくる。事件の過程を検証して、教訓として残すというよりも、ただ騒いで終わってしまうところが日本的といえるのかもしれないし、その結果、真相も責任も曖昧なままに終わってしまったように見えるところがやるせない。
 科学者は科学的な事実の前に誠実かと思ったら、現実には科学の探求よりも保身に走る人もいる。人間は弱いものなんだなあ。もっとも、STAP細胞の存在に疑問を提起し、真相解明に努めたのも科学者たちであるから、誠実さは組織の前では消えても、科学者個人の中には生きているともいえる。その点で希望は消えたわけではないのだろう。
 しかし、不思議なのは、自殺した笹井氏が小保方氏をなぜ、ここまで信頼、信用していたかということ。笹井氏に限らず、理研ハーバード大学早稲田大学などの第一級の科学者たちについても同じことがいえる。なぜ小保方氏を凄いと思ったのか。どこに才能を見たのか。よほどのプレゼン名人だったのだろうか。どこかに人間的な魅力があったのか。この点は最後まで謎として残った。なぜ、ここまで盲目的な信頼と賞賛を集めていたのか。論文は上手じゃなかったみたいだから、それ以外に何があったのだろう。
 いずれにせよ、STAP細胞事件は、米ベル研究所の高温超電導研究論文をめぐるシェーン事件、韓国ソウル大学の黄兎錫教授のES細胞捏造事件と並ぶ世界三大不正事件のひとつとなってしまったわけだなあ。真相解明が曖昧で、自殺者まで出てしまうところが日本の科学界の特徴とされてしまうのだろうか。
捏造の科学者 STAP細胞事件 (文春e-book)

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