『リア王』を読んでみた

シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫)

シェイクスピア全集 (5) リア王 (ちくま文庫)

 先日読んだ『ジュリアス・シーザー』が面白くて、シェイクスピアを読んでみようかと思って、次に選んだのが『リア王』。ちくま文庫で出ている松岡和子訳バージョン。シェイクスピアの4大悲劇のひとつという教科書的な知識はあり、読んだことはなかったのだが、リア王と、その子の3人の姉妹という粗筋は知っている。古典というのは筋は知っているけど、本当は読んでいないというのが意外と多いんだなあ。
 で、読んでみて思ったのは、このリア王と3姉妹の物語かと思ったら、それだけではなくてリア王の物語であると同時に、王の側近のグロスター伯爵と2人の息子(ひとりは嫡男でひとりは庶子)の物語でもあること。ふたつの家族の愛憎劇が交錯する。しかも、物語はハードボイルドというか、救いのない冷酷な運命に家族が翻弄される。『ジュリアス・シーザー』が政治劇だとすれば、こちらは王位継承を物語としながらも、ホームドラマかもしれない。。
 松岡訳バージョンは下部に注釈が入るなど親切。シェイクスピアは多くの人が翻訳しているので、各バージョンを読み比べてみるのも面白いかな、と思った。
 最後に印象に残った台詞を一つ。リア王の娘たちによって盲目にされ、さまようグロスター公爵の台詞。

私には道などない。だから目もいらない。目が見えたことには躓いた。よくあることだ、頼りになるものがあれば油断する。極端な弱みは強みに変わるのだ。

 名台詞という意味では、『ジュリアス・シーザー』のほうが印象に残るフレーズが多かった気がする。