紀田順一郎『蔵書一代』を読む

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF) 副題に「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」。著者の紀田順一郎氏が約3万冊の蔵書を生前贈与ならぬ生前処分するという涙なくして読めないような場面から始まり、日本における図書館、個人蔵書の荒涼とした現状が語られていく。いまや図書館もよほどの作家じゃないと、個人蔵書を引き取らない。好きな本を溜め込むタイプの読書家の晩年には別れの悲劇が待っているのだなあ。しかし、歴史や文化にとって貴重な本が散逸し、ときにはゴミとして消えていってしまっていいものかどうか。考えさせられるなあ。読んでいると、「本はこうして死んでいく」という物語のようにも見えてくる。本が消えた後に何が残るのか。デジタルが代替するのか。政府が規制しなくても、「華氏451」のような世界になっていくのか。蔵書問題から始まって、いろいろと考えさせられる。
 目次で内容をみると、こんな感じ。

序 章 <永訣の朝>
第 I 章 文化的変容と個人蔵書の受難
第 II章 日本人の蔵書志向
第III章 蔵書を守っと人々
第IV章 蔵書維持の困難性

 高齢になると、本を維持していくのは難しい。その人にとって、どんなに系統だった本の収集でも、残された者には意味がないことも少なくない。古書店もビジネスだから、いま売れるものしか興味がない。紀田氏自身の蔵書遍歴を読んでいると、少子高齢化社会は本を殺していくのだなあ、とも考えてしまう。自分は蔵書家じゃないけど、いろいろと考えされらます。図書館って本当に大切なんだなあ。いま眼の前にいる住民のサービスだけじゃなくて、本当は未来の住民、市民たちのことも考えて、図書館の機能を考えていかなければいけないんだけど、貧すれば鈍すると言うか、いまの日本の営利・効率優先の現状では、公立はもちろん、大学でも知の保管庫としての役割をまっとうすることは難しいんだなあ。