大日本帝国陸軍における「規律」と「反逆」ーー「菊と刀」から思い出した「北支の治安戦」の廣水鎮事件

 ルース・ベネディクトの『菊と刀』は、外国人による日本研究の古典だが、その冒頭に、外国人から見た日本人の「謎」について語るところがある。

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

 

  米国の文化人類学者のベネディクトが対日戦のために、日本研究を委託されたのは大戦末期、連合軍がフランス・ノルマンディに上陸した1944年6月という。日本人をより理解する必要があったのは、当時の日本人が矛盾に満ちた謎の存在だったからとして、こんなふうに言っている。

日本人は攻撃的でもあり、温和でもある。軍事を優先しつつ、 同時に美も追求する。思い上がっていると同時に礼儀正しい。頑固でもあり、柔軟でもある。従順であると同時に二心もある。勇敢でもあり、小心でもある。保守的でもあると同時に、新しいやり方を歓迎する。

  確かに、そういうところがあるな、と思う。ただ、こうした点以上に印象に残ったのは、日本軍に関するレポートを紹介した、こんな記述...

軍隊におけるロボットもどきの規律を描写しつつ、それに引き続いて、同じ軍隊において反逆の一歩手前まで兵卒が反抗する有様を描写する。

  こんな言い方も

兵卒は徹底的に規律をたたき込まれているが、同時に反抗的でもある。

  右的にいえば、一糸乱れず規律正しく勇猛果敢、左的に言えば、上官の圧力のもと、盲従を強いられ、従順な兵士ーーどちらの日本軍のイメージとも微妙に違う。ただ、読んでいて、ああ、やはり、そういう面があるのかと思った。こちらの本を読んでいたから...

北支の治安戦〈2〉 (1971年) (戦史叢書)

北支の治安戦〈2〉 (1971年) (戦史叢書)

 

  防衛研修所戦史室がまとめた『北支の治安戦』(2巻)。祖父が戦争中、中国で従軍していたことがあって、どんな状況だったのか、興味をもち、公式の戦史といえる、この本を開いてみた。そのなかに「廣水鎮事件」というのが出てくる。この本によると...

「廣水鎮事件」とは、湖北省應山県廣水鎮において(昭和)17年10月15日夜、輜重兵第3聯隊第1中隊の下士官兵7名が、飲酒のうえ、兵を煽動し、平素から反感を抱いていた中隊将校に対し、棍棒等をもって集団暴行を加えたものである。

 要するに、下士官たちが酔っ払って兵隊をつかって、自分たちの気に入らない将校を襲ったという前代未聞の集団暴行事件。米国もこうした事件を把握していたのかもしれないなあ。日本軍の内部に潜む規律と反逆の二面性。

 この不祥事の要因について、こんな記述もある。

中隊長以下整然たる環境において厳粛な内務教育を受けた経験がなく 、部下を掌握統率する能力に欠けていたこと。これがために兵が随時酒を購入し営内で飲酒するのを制止する力がなく、放恣な行為を黙認していた。

  実戦経験のある下士官と内地から来た将校の力関係。連想ゲームで言うと、この映画を思い出した。

  この映画でも、実戦経験豊富な下士官たちは、士官学校出たてみたいな将校を無視していた。戦争が長期化し、泥沼化すると、軍の規律は乱れていく。これはベトナム戦争の米軍も、中国戦線の日本軍も変わらなかったのだろう。

 帝国陸軍も、さすがに部下による上官の集団暴行事件を見過ごすことはできず、原因究明と対応策をとっているのだが、その原因のなかに、こんな一説も...

該中隊は特別に監督指導が必要としたにかからわず、かえって中隊編成以来懲罰者なく団結良好なりとして賞詞を付与されたことがある等、上級幹部はその内情把握に欠けていた。今時事件後、既往における対上官暴行の事実が隠蔽されていたことが判明した。

  軍隊も官僚組織というが、良い評価をもらうために見て見ぬふりをしてきたのか、隠蔽していたのか。今の官僚組織と変わらない。会社も同じか。もっとも軍の場合、生死に関わるから、官僚主義ね、では済まないが...。防衛研修所戦史室は、こうした旧軍の恥部を含めて教訓として残そうとしたのだろう。

 規律正しく勇猛果敢だったのも日本人ならば、酔っ払って上官に集団暴行していたのも日本人。この二面性の同居、今も続くのかもしれない。そうした性向があることを自覚したうえで、ダークサイドに落ちずに行動することが、善き日本人になるために必要なんだろうな。やはり歴史を知ることは大切です。

 でも、日本軍のイメージ。こんな映画は荒唐無稽なファンタジーかと思ったら、必ずしも、そうではないのかもしれない。

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