プラトン『ソクラテスの弁明』を読むーー真実を語り、哲学に殉じる

 古典というのは読んだような顔をして読んでいないことが多いものだが、この1冊もそうだった。やっと読みました。

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

 

  ソクラテスが死刑判決を受けた裁判での弁明をプラトンが記録したもの。ソクラテスの弁明は内容はわかるのだが、その当時の状況がいまひとつつかめず、納富信留氏の解説が参考になった。弁明と解説がセットになって理解できるところがある。解説を読むことによって、当時、なぜソクラテスが嫌わていたかもわかる。

 弁明を読むと、ソクラテスは哲学に殉じたように見えてくる。無罪を求めて媚びることも、有罪判決後は命乞いをすることもなく、自らの哲学を主張した。ソクラテスを訴え、排斥しようとした人々は、うろたえ、許しを乞うソクラテスを見たかったのかもしれないが、反対にソクラテスは告発者たちを論破し、小バカにしたようなところさえある。

 ソクラテスの言葉が真実であったとしても、この当時の大方の人々には、ウザいやつと見られていたのだろう。そんな様子も見えてくる。そもそも真実は誰にとっても心地よいものでもないし、かえって神経を逆なでしたのかもしれない。

 実際、ソクラテス自身、こんな話をしている。

アテナイの皆さん、今まで述べてきたことが真実であり、皆さんにすこしも隠し立てせず、ためらうことなくお話ししています。しかしながら私は、まさにこのこと、つまり真実を話すということで憎まれているのだということを、よく知っています。そして私が憎まれているというまさにそのことが、私が真実を語っていることの証拠でもあり、そして、私への中傷とはまさにこういうもので、これが告発の原因であるということの証拠でもあるのです。

 自分でわかっていながら、真実を語り続けたから、結局、死刑になってしまった。それについても、こんな発言が...

なにか行動をする時には、そんなこと(生死の危険)だけを考えるのではなく、正しいことを行うのか、それとも不正を行うのか、善い人間のなす行為か、それとも悪い人間のなすことなのか、それを考慮すべきです。

 哲学者とは、知を愛し、求める人であり、智者は自分には知らないことがあるということを知っている人。人間が善く生きるとはなにか。ソクラテスの弁明は心に響くものがある。弁明と解説を読み終え、哲学というものにさらに興味を持ってしまった。