岩井克人「二十一世紀の資本主義論」

二十一世紀の資本主義論 (ちくま学芸文庫)

二十一世紀の資本主義論 (ちくま学芸文庫)

 岩井克人のエッセイ集。タイトルにもなっている「二十一世紀の資本主義論」「インターネット資本主義と電子貨幣」が圧倒的に面白い。「二十一世紀の資本主義」は、サブプライム問題をきっかけに混迷状態に陥っている世界経済の現状を予見している。理論を突き詰めて考えていくと、現実に落ち着くのだなあ。知性は恐ろしいなあ。そして、学問、アカデミズムは役立たずのように見えて、役に立つんだなあ。特に混迷の時代には。ともあれ、読んでいると、思わず、線を引きたくなる一節がある。

 市場経済の効率化と不安定性は、おなじ金貨の両面にすぎないのである。金融市場の媒介によって生産活動や消費活動が効率化すればするほど、市場における価格の不安定性が増していくという根源的な「二律背反」がここにある。

 なるほどねえ。確かに、そうだなあ。現実も、そう動いているなあ。

 わたしは、二十一世紀においても金融危機はくりかえしくりかえし起こることになるだろうと述べた。実は、この言葉には、二つの意味がこめられている。ひとつは、二十世紀の世紀末に陥った金融危機のような危機は市場経済にとって本質的な現象であり、この地球が市場経済化されているかぎり、けっして消えてしまうことがないという意味である。

 当たっているなあ。二十世紀末の金融危機は、アジア通貨危機、ロシア危機だったが、その後も、ITバブル崩壊もあったし。で、もうひとつの意味は・・・

 金融危機がくりかえしくりかえし起こるということは、それによってグローバル化された市場経済そのものが崩壊することはないということも意味している。それはグローバル市場経済にとっての真の危機ではないということなのである。

 なるほど。これも、納得感あるなあ。では、サブプライムも、そのひとつなのだろうか。じゃあ、本当の危機は何なんだろう。

 グローバル市場経済にとって真の危機とは、金融危機でもなければ、それに続く恐慌でもない。ハイパー・インフレーションである。そしてグローバル市場におけるハイパー・インフレーションとは、もちろん、基軸通貨ドルの価値が暴落してしまう「ドル危機」のことである。それは、基軸通貨としてのドルを支えているあの「予想の無限の連鎖」の崩壊過程にほかならないのである。

う〜む。

このドル危機がグローバル市場経済のなかでおこるとしたら、それは何らかの理由で、世界中のひとびとが基軸通貨として保有しているドルを過剰に感じることから出発するはずである。世界各地の外国為替市場でドルがほかのすべての通貨にたいして売られ、ドル価値の下落がはじまるのである。もちろん、このようなドル価値の下落が一時的でしかないという予想が支配しているかぎり、ドル危機にはいたらない。だが、もしどこかの時点で、ドル価値がさらに下落するという予想のほうが支配的になってしまうと、事態は後戻りできなくなる。ほかのひとびとがもはや将来ドルを基軸通貨として受け入れてはくれないのではないかという恐れが広がり、その恐れによって、実際にひとびとはドルを基軸通貨として受け入れることを拒否するようになるのである。恐れが自己実現し、世界中のひとびとはドルから遁走しはじめる。

 恐ろしい。予言者のよう。今回のサブプライム危機には、ドルへの不信という危うい兆候がないとは言えない。怖いなあ。結構、危うい地点まで来てしまった感じがするなあ。
 しかし、こうした思考をしていくうえで、出発点となるのは、アダム・スミスであり、マルクスであり、ケインズであり、シュンペーターなんだな。勉強しないとダメだなあ。
 で、他のエッセイは、デッサンというか、経済の素描みたいな感じで、ひとつのテーマがいろいろな切り口で語られている。その中では、最後の「契約と信認ーー市民社会の再定義」が良かった。