津野海太郎「読書欲・編集欲」
- 作者: 津野海太郎
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2001/12/01
- メディア: 単行本
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なんの政治的、経済的背景ももたないひとりの人間が、たとえば気もちのいい生活の夢や映画への愛を人びとと共有するために雑誌をだし、しかも印刷物だけでは満足できずに、無償の読者の集まりを何十年も組織しつづける。それが雑誌である。それこそが他の業種とはことなる出版ビジネスのすばらしい特性なのだ、とおもいたいところだが、いまの世では、なかなかそうはいかない。私もいま雑誌を一つだしている。はたして私はじぶんの雑誌の読者につよい同志的感情をもっているだろうか。もっているわけがない。よかれあしかれ薄味な世の中になっちまったなあ、とおもわざるをえない。
雑誌の時代は終わってしまったのかなあ。で、このあとに続く「編集者が生きにくい時代」では、80年代ぐらいから、出版界が書籍から雑誌中心、販売収入型から広告収入型へ移行したことについて、こんな一節があった。
出版社が書籍によって得る収入は売り上げしかない。いっぽう雑誌では広告収入が経営の基本になる。雑誌に占める広告ページの割合がふえるにつれて、広告業界のしごと作法が出版社にもじわじわと浸透しはじめた。それとともに、じぶんがなにをやりたいかよりも、いまなにが売れるか、だれにどうやって売りつけるかといったことがらが、編集者のおもな関心事項になってしまった。そのための市場調査、読者のセグメントテイションなど、いってみれば出版業の広告代理店化である。
なるほどなあ。「広告代理店化」した出版業界も、インターネットの攻勢の前に、曲がり角に来ている。津野氏は、若者が本を読まない、というのは今に始まった話ではないし、結局、どんなコンテンツを創り出すのか、送り出すかなんだなあ。で、最後はこうなる。
いまの出版点数の三分の一か四分の一。なるほど、そんなあたりがこの国の出版の適正規模なのかもしれない。これはどうしても紙の本で読みたいというものだけを、ていねいに活字本としてつくり、それをいまよりもやや高い値段で売る。そして、かならずしも紙の本でなくてもいいものは、すすんでCD-ROMやインターネットの手にゆだねることにする。そういうしかたによってでも本の多様性はたもてる。活字本編集者にかかるストレスだって、いまよりはだいぶ軽減されるのではないか。もしかしたら私たちは本という特殊な箱がもつ包容力に甘えて、あまりにも大きすぎる荷物を紙の本に背負わせてきたのかもしれない。
深いなあ。