サイバーアーツジャパン(東京都現代美術館)

メディアアートの世界的祭典「アルスエレクトロニカ」(オーストリアリンツ市)の30周年を記念して、日本のアート&テクノロジー、メディア芸術領域の特集展を開催します。
1979年の創始以来、同フェスティバルは、冨田勲坂本龍一岩井俊雄明和電機ら多数の受賞・参加によって日本と深い絆で結ばれています。本展は、フェスティバルへの参加作品群を中心に、芸術/科学・テクノロジー/社会を結ぶ新たな可能性を探ります。
本展では、アルスエレクトロニカリンツ後援のもと、30年の歴史を物語る貴重な映像や作品資料が初めて展示されます。約25プロジェクト・50作品による展示は複数のパートで構成されています。歴代受賞者らによる展示や、本年度受賞作品のほか、アルスエレクトロニカ・センターとの企画連携(デバイスアート展)、リアルタイムでリンツと東京会場を結び、Museum of the Future(未来の美術館)を考え、解体再構築するネット・プロジェクトも試みられます。さらに、文学作品の視覚化、デジタルパブリックアート、宇宙芸術などのハイブリッドな新領域を題材に、話題のメディア芸術/メディアアートが呈示されます。

 デジタルアートの実験場といった感じ。体験型の展示も多くインタラクティブ・アートの実験場でもある。どれも面白いといえば面白いんだけど、はかないというか、まさに「今」のアートで、後世構には残らないだろうな、という感じ。新しい分、すぐに腐っていくというか、古びていくくのではないかと思える。流通やサービスで使わているようなものもあり、かなり実業に近いものという感じもする。
 でも、見ていると、どこか軽く、はかない。頭で考えて、創られたものという感じが強い。ハートをあまり感じないというか。そういう時代なのかもしれないし、それはそれで良いんだろうけど、アートといっても「技術」としてのアートで、「芸術」のアートとは違うだなと思う。後で、常設展の方も覗くが、こちらのほうがインパクトがある。時代を超えて迫ってくるものがある(当然、作品によってだけど)。デジタルになってしまうと、どこか漂白されてしまって、人のドロドロした情念が消えてしまうからか。まあ、そうした激情が消えるのは、デジタルのためか、世代的な問題か、日本という、どこか漂白された環境のためか、よくわからないけど。ロイ・リキテンスタインの「ヘア・リボンの少女」にしても、アンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」にしても、技巧のようでいて、消費文明に対する批評みたいな視点がある。そうした批評的視点というか、時代を切り取ろうとする意志を感じないためだろうか。面白いけど、インパクトを感じなかった。
 大学関係の出品が目立った。それも漂白された印象を持つ一因だろうか。平野啓一郎氏が参加した3D映像などというのもあった。
公式サイト
 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/cyberarts/index.html