衆院補選、「ラーメン屋でもいいから推薦を取れ」って、ラーメン屋さんって「でも」なの?

 朝日新聞の10月13日付けの朝刊に、昨日告示された衆議院北海道5区補選の現地ルポが載っていた。民主党の議員が教員組合の違法献金事件で辞職したのに伴なう補欠選挙内閣改造を終えた菅政権としては初めての国政選挙。加えて、自民党は、昨年の総選挙で小選挙区敗戦、比例代表衆院の座を得た町村信孝氏が議員を辞職して改めて小選挙区に挑む。そんなこんなで注目の選挙。
 常識的には、知名度も高い町村氏の楽勝という風に思えるのだが、それほど単純ではないらしい。朝日の現地ルポの大見出しは<票いずこ、民・自迷走>。民主党側の見出しは<「利益誘導」批判していたのに.../民主、業界頼みにシフト>。一方、自民党側は<「ラーメン屋の推薦も取れ」/町村氏、必死の地元回り>。この自民党の見出しだけでも「?」だったのだが、記事の一節にこんなところがある。

 「ラーメン屋でもいいから推薦を取り付けろ」。大きな組織の支持を期待できない町村陣営が出した号令は、鬼気迫るものがある。「回ったことのない有権者を掘り起こす。『ブ・ナロード(民衆の中へ)作戦』だ」と言う。

 ブ・ナロード!。人民のもとへ!ーー21世紀の政治活動で,この言葉を聞くとは...。ロシア史の本みたいな...。町村陣営は「ナロードニキ」か(ウィキペディアの「ナロードニキ」解説はこちら => http://goo.gl/1Tru)。自分たちは知識人、無知蒙昧な大衆を先導する前衛なんだろうか、とツッコミをいれてみたくなる。その文脈で「ラーメン屋でも」という話になるんだろうか。「でも」って、北海道のラーメンといったら立派な地場産業ではないんだろうか。「外食+観光」のハイブリッド産業ではないか。「ラーメン屋でも」って、北海道最下層に位置づけられてしまうわけ?。ちょっとなあ。
 テレビだけの印象で語ってはいけないんだろうけど、町村氏には、人を見下した言動をするエリート意識の塊のような人というイメージがある。現代はイメージの時代だから、選挙ともなれば、その負のイメージを打ち消すことが重要で、そのことを訴えたかったのかもしれないが、陣営の言葉遣いがエリート意識を露呈することになってしまっている。
 政治の世界で生きているんだから、言葉には気をつけないと。まあ、その言葉をそのまま書いて、見出しにまでしてしまう朝日もすごいけど。記者の意識が陣営と同化してしまって、これだけ大衆とともに頑張っているんですという美談的意味合いで使っているのか、それとも、エリート意識を際だたせるために意地悪で使っているのか、わからないなあ。