エジプト革命で見えた日本メディアのお子様化。やはり中東のことは中東のメディア、世界史的視点なら英国のメディア?

 今回のエジプト革命。日本のメディアには存在感がなかった。というか、この民主主義の教科書のような事件に、まるで関心がないようだった。フェイスブックとかウィキリークスとか最新のネット現象も登場し、社会学的にも絶好のテーマなのに、そこにも興味がない風だった。現実には誰もが信じなくなりかけている民主主義を叫び、最新のデジタルツールを使って、見たこともない「連帯」を実現し、非暴力革命を目指す人たちが出現した。タハリール広場に入った海外の記者たちが、その熱気のなかに新しい時代の躍動を感じ、興奮した様子でレポートしているんだが、日本勢には、その熱がない。現場の記者の感受性の欠如か、そんな報道など日本には要らないという東京の判断かなのか...。
NHK 週刊こどもニュース 2011 いずれにせよ、日本のメディアは「週刊こどもニュース」と「小学生新聞」の世界になってしまった。わかりやすい後講釈はあるけど(お子様向けに食べにくいところは除きました...)、解釈が定まらない今を伝える仕事はやろうとしない。NHKもテレビ・ラジオを持つ国民全員から受信料をとるならば、BBCぐらい、きちんとレポートすればいいのに。日本の“国営放送”は「パンとサーカス」のメディアなのだろうか。報道にはリスクもコストもかかるから、やりたくない気持ちもわかるけど。
 結局、今回目立ったのは中東の放送局と英国系メデイアだった。米国系はジャーナリスト個人の奮闘はあったが、メディアとしては精彩を欠く。日本が米国に似たのか、米国が日本みたいになってきているのか、内向き、バラエティ化が進んでいる。視聴率を稼ぎ、ビジネスとして成立させるためにエンターテイメント性が重視されているんだろうか。CNNも一時ほどの輝きがなくなった。エジプトの情勢を女性キャスターが笑顔で伝えるのだから、どうもチャラいというか、見下しているというか。
アルジャジーラ 報道の戦争すべてを敵に回したテレビ局の果てしなき闘い そうした中で気を吐いたのは中東のメディア。カタールアルジャジーラは、オフィスが襲われたり、記者が一時拘束されたりされながらも、テレビ、ウェブ、ツイッターフェイスブックとあらゆるメディアを駆使して24時間報道を続けた。アラブ首長国連邦に本拠を置くアル・アラビーヤは一部、正確さを欠く報道もあり、アルジャジーラの後塵を拝しているようにみえたが、最後の最後で、ムバラク大統領が家族とともにカイロを離れ、保養地のシャルムエルシェイクに逃れたことをスクープして一矢を報いた。どちらのメディアにも、中東の情報は自分たち中東のメディアが発信するのだという気概が感ぜられた。
 一方で、こうした修羅場のなかで冷静な報道をするのは、クールな英国系メディアだった。BBCの情報も速かったし、エコノミスト(Economist)はかなり早い段階から、今回の事件を読み、自分たちの立ち位置を鮮明にしていた*1。こうした記事を読むと、硬派の雑誌が世界中で振るわないなかで、唯一伸びている雑誌であることがわかる。知性の差でもあるだろうし、それ以上に、現地に深く入り込み、情報を持っている感じがする。英国情報部以来の伝統だろうか。ジェームズ・ボンドの国だからなあ。
 今年のダボス会議のテーマは「新しい現実」だったと*2。中身はよく理解していないのだが、このタイトルは絶妙だったかもしれない。米国も、イスラエルも、世界も、一気に動き出した新しい現実への対応を迫られている。
PRESIDENT
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*1:「英Economistの大人の主張――何が起こるにせよエジプトに民主主義を。独裁政治は混乱を招くだけ」- やぶしらず通信 - http://t.co/6PKCDrR

*2:World Economic Forum - Shared Norms for the New Reality => http://t.co/SQ3PMVo