関東大震災の時、こんなテンポで、政府は対策を打っていた。副作用もあった...

 関東大震災のときに、政府はどんなテンポで政策を打っていったのか、高橋亀吉『大正・昭和財界変動史』(上)によると、こんな感じ。関東大震災が起きたのは、大正12年(1923年)。

9月1日
 関東大震災発生。直ちに治安の維持上、戒厳令。同時に被災者の救出・保護のため、非常徴発令及び臨時震災事務局制を公布。
9月7日勅令
 治安維持令、モラトリアム(支払延期令:被災者は9月1日以前の金銭債務支払を9月30日まで延期)、暴利取締令
9月11日勅令
 米穀輸入税免除令及び生牛肉及び鳥卵輸入税免除令
9月12日勅令
 生活必需品並に土木建築用器具機械材料輸入税減免令
9月22日勅令
 臨時物資供給令及び同特別会計
9月27日勅令
 震災手形割引損失補償令。これに伴いモラトリアム(支払延期令)9月末で廃止声明

 関東大震災の総損害額は45億7000万円。当時の通貨発行高は約11億円だったというから、どれほど巨大な損害だったか、わかる。それに合わせて政策も矢継ぎ早に打たれていった。しかし、この緊急対策には副作用もあったそうで、輸入税の減免は、復興需要を見込んだ思惑的な輸入急増を招き、のちに過剰在庫となって復興特需後の不況を深刻化させる。また、被災企業の資金繰りを助けるために導入した震災手形には、震災以外のゾンビ企業の手形を紛れ込ませた銀行も出て、のちの昭和金融恐慌の引き金となる。緊急避難として必要な政策にしても、そこに人間のむき出しの欲得が絡むと、思わぬ副作用が後になって出てくることがあるという話。
 復興・復旧計画の予算審議が始まるのは、その年の12月から。こちらは、こちらで政争も絡み、紆余曲折がある。