伊集院静『乳房』

乳房 (講談社文庫)

乳房 (講談社文庫)

 1990年に出版された短編集の文庫版。表題の「乳房」をはじめ、「くらげ」「残塁」「桃の宵橋」「クレープ」の5作品が収録されている。いずれも自らの人生に題材をとった私小説。海で亡くなった弟を描いた「くらげ」、離婚した妻のもとで高校生に育った娘と再会し、1日をともに過ごす「クレープ」、そして、前夫人、夏目雅子を思わせる、ガンに倒れた妻と病室で過ごす日々を描いた「乳房」。この3編が特にいい。どの小説も静かで、やさしく、切なく、哀しく、美しい。日常の断片を切り取り、ひとつの風景から人生を描き出す。その特質は長編よりも短編のほうが合っているのかもしれない(そんなに作品を読んでいないので、断言はできないが)。
 伊集院静夏目雅子を思わせるヒロインが登場する小説として、長編の『潮流』と、この「乳房」を書いているが、「乳房」が断然いい。余分な描写がなく、痛切な想いが凝縮されている。俳優は演じることによって癒され、小説家は書くことによって癒されるといわれるが、そうしたことを思わせる本。伊集院氏は、生きていく哀しさを書くことによって乗り越えていく人なのかもしれない。そして、そこから生まれた言葉が読者の心を震わせる。
【やぶしらず通信・関連ログ】
伊集院静『なぎさホテル』(電子書籍)を読んで(4月25日)=> http://bit.ly/ffcAeg
伊集院静『潮流』を読んで(5月1日) => yabuDK note http://bit.ly/kX9Wif
潮流 (講談社文庫)