小島慶三『江戸の産業ルネッサンス』
- 作者: 小島慶三
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1989/04
- メディア: 新書
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目次で内容をみると...
第1章 変転する江戸時代の評価
第2章 江戸前期までの日本と西欧
第3章 江戸中期以降の日本と西欧
第4章 江戸の産業ルネッサンス(1)
第5章 江戸の産業ルネッサンス(2)
第6章 開国直後の日本と西欧
第7章 近代化への期待と不安
で、面白かったところをいくつかメモしておくと...
まず明治に入ってからの急速な近代化は江戸時代に基礎が準備されていたことを、埼玉の忍藩(行田市)に例に、5つにまとめている。
(1)農業の生産力に余剰があり、工業化を可能にする物的条件が整っていた
(2)知的水準が非常に高かった
(3)宗教が非常に早く世俗化していた
(4)藩と村落共同体の結び付きが、非常に合理的にオーガナイズされていた
(5)忍藩の下級武士、あるいは農民の上層のクラス、また豪商などのエリートの主体的な能力が、かなり優れていた
このあたりの条件は、筆者が調査した忍藩だけではなく、日本全体に共通したものだったのだろう。
また、元禄時代頃からが江戸の産業ルネッサンスが始まったとして...
よく思想面で、日本にはカントやルソー、あるいはケネーは生まれなかったといわれるが、例えば、ケネーの代わりには安藤昌益があり、それから新井白石、またヘーゲルに先立つこと50年も前に弁証法を展開した三浦梅園とかいう人たちはみな、この時期に活躍している。
そういった意味で、元禄から享保にかけてを日本の近代化のスタートとする見方には、それなりの理由がある。最近とみに力を得てきたものに、文化・文政、いわゆる化政期(1804〜1830年)を重視する傾向がある。例えば、梅棹忠夫氏は、その意味で“明治150年説”を出された。また体系的、総合的に此の問題にアプローチしたのは、京都大学の人文科学研究所グループの人たちであった。
その京大グループの代表的な著作が『化政文化の研究』で、それがこちら。
- 作者: 林屋辰三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976
- メディア: ?
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謝世輝氏に『日本近代化二〇〇年の構造』という著作がある。これもそういった主張の一つで、元禄期と化政期の中間、明和・安永のころ、1770年前後を日本の近代化の基点とする。そのプロセスはこの時期に進んだのであって、明治維新で日本の近代化がスタートしたのではない。この意味においては、この1770年前後は日本のルネッサンスのハイライトといってもいい時代ではないか。
なるほど。
一方、幕末の海外外交官たちの日本に対する、こんな感想がある。
(日本人の)欠点だが、一番多く挙げられるのは、「嘘つき」ということだ。ハリスもこれを非難している。これ以外に“陳腐な観念(迷信)からなかなか脱却できない”、頑固であり、“非常に大切な問題を事もなげに扱う”、事実、“なんでもない事に時間をウェイスト(浪費)する”、総じて「問題に対してロジカルな検討を加えることことは得意でない」し、「好奇心は強いが、同時に飽きっぽい」「短時間に覚えるけれども、直ぐにそれで満足してしまう」、さらに非常に高慢である、度を越した礼儀、こういったことをカッテンダイキは指摘している。
英国大使のエルギン(1811〜63年)は、「日本人は具合の悪いことを、“ご内聞に”ということで済ましてしまう。しかしそれが、ある意味では日本の社会の平穏無事にも繋がっている。
日本は変わっていないと思われているのだろうなあ。普天間問題で米国大使館がつくった報告書といっても通ってしまいそうな。「ご内聞に」が「密約」になっていくんだろうが。沖縄返還の際の密約なども当事者たちにすれば、社会の平穏無事を狙ったものだったのだろうが。
米国人で鉱山学の大家、パンペリーは日本人の二重性について語る。
パンペリーにいわせると、日本は非常に神経質だ、想像力は豊かである。各国を遍歴した彼の経験では、「どうもモンゴル族よりもヒンズー族に近いのではないか」と思われるが、いずれにしても、“非常に矛盾に満ちた国である”、「婦女子の貞操観念の堅いのはヨーロッパ以上であるが、同時に売春もある」。住宅や家具はシンプルだけど効果的である。非常に清潔だけれども混浴する。田園は非常に美しいけれども臭いが悪い。また「非常に節約をするけれども、また浪費も無闇矢鱈に止めどがない」というようなことをあて、非常に対照的な両面を併せもつ日本人の二重性を指摘しているのである。
歴史をみていると、良いところも、悪いところも、変わらんなあ。この時期は、良いところをもっと見ていくべきなのだろう。