ウィリアム・パワーズ『つながらない生活』

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方

つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方

 副題に<「ネット世間」との距離のとり方>。インターネットが一般化してからの情報過多に加え、スマホSNSの隆盛で、コミュニケーション強迫症みたいなっている現代に、どうやって、ゆとりを持つのかという話。それは、思考・思索の面から見ても、生活の面から見ても、どこでゆとりを持つか、間をとるか、緩急をつけるか、ということが大事になってきている。そんな中で、こうした本が登場するのだろうなあ。本の中で、インターネット時代になったからこそ、モレスキンが復活したというくだりがあるのだが、これも納得。モレスキンのようなデザインに優れ、紙の感触が心地良いノートを使うと、感性の部分が刺激される感じがする。
 で、目次で内容を見ると...

I  つながりに満ちた暮らしのミステリー
第1章 忙しい! とにかく忙しい!
第2章 母との電話を「切った後」に訪れた幸福
第3章 携帯が使えなくなって気づいたこと
第4章 なぜ「メール禁止デー」はうまくいかないか
II  「過度につながらない」ための知恵
第5章 プラトンが説く「ほどよい距離」の見つけ方
第6章 セネカが探訪する内面世界
第7章 グーテンベルクがもたらした黙読文化
第8章 ハムレットの手帳
第9章 フランクリンの「前向きな儀式」
第10章 自宅を安息の場にしたソロー
第11章 マクルーハンの「心のキッチン」
III 落ち着いた生活を取り戻す
第12章 無理のない「つながり断ち」7つのヒント
第13章 インターネット安息日

 第8章の「ハムレットの手帳」がモレスキンの話。筆者はは<「プレーンノートブック」と呼ばれる買い物袋を思わせる黄褐色のカバーのついた。パスポートくらいの大きさの手帳にひきつけられ、三冊セットを衝動買いしてしまった>というから、ゴムバンドのついた一般的な黒のモレスキンではなく、こっちを使っているのだろう。

MOLESKINE モレスキン カイエ プレーンノート・無地・3冊セット・ポケット・茶 ([文具])

MOLESKINE モレスキン カイエ プレーンノート・無地・3冊セット・ポケット・茶 ([文具])

 ジャーナリストの友人が持っているのは「大判の定番モデル」というから、こっちだろう。
Moleskine Classic Notebook, Large, Plain, Black, Hard Cover (5 x 8.25) (Classic Notebooks)

Moleskine Classic Notebook, Large, Plain, Black, Hard Cover (5 x 8.25) (Classic Notebooks)

 で、なぜ、モレスキンを使うかというのは、こんな理由から...

 旧来テクノロジーは今日でも、ざわついた心を落ち着かせるのに一役買っている。その典型例は紙である。二〇世紀半ば以降、紙が消滅する日は近いという予測がしきりになされてきた。だが現実にはなっていない。紙は依然として有用だからだ。むしろ、わたしたちが必要とし切望する。〝つながりからのささやかな解放〟をもたらしてくれるから、以前にも増して有用になってきているともいえるだろう。紙の本を読もう。シンプルな手帳やノートに記録をつけたり、メモを書き込んだりしよう。わたしもモレスキンを愛用している。新たに雑誌を購読するのもよい。同時並行でいくつもの用事をこなすのが当たり前の世の中にあって、一つのことに集中するのはむずかしくなる一方である。そんななか、ウェブとつながらない紙の持ち味は大きな強みになりつつある。美しいデザインが施された本や雑誌を手にするのは、何ものにも代えがたい経験である。世の中全体の慌しさが嘘のように遠ざかり、あなたの心にも安らぎが訪れる。

 わかるなあ。
 で、このほかにも、印象に残ったところを抜書きすると...

 この洞穴人は、きみの想像をはるかにこえる大変な発明をした。ことばである。ほんとうの意味でのことばなのだ。動物だって、痛いときはうなり、危険がせまればほえるだろう。しかし動物は、ことばで何かを名づけることはできない。それができるのは、ただ人間だけ。原人は、それができた最初の生き物なのだ。
 彼らはまた、別のすばらしいことも発明した。ものを描いたり刻んだりすることだ。今日わたしたちは、洞穴の壁に彼らが刻み、色を塗った多くの絵を見ることができる。これほど美しく描ける画家は、今日でもいないかもしれない。

 これは以下の本からの引用。こっちも読んでみたくなる。

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

 話は変わって、フランクリンが行動指針にしたという13の美徳

1 節制する
2 余計なことは言わない
3 秩序を守る
4 決意を固める
5 倹約に努める
6 勤勉を心がける
7 誠実である
8 正義を貫く
9 中庸を得る
10 清潔さを保つ
11 平静でいる
12 貞潔を守る
13 へりくだる

 どこの国でも同じような徳目をあげるのだなあ。江戸時代の家訓みたいな感じも、こんな感じだったような。
 最後に、新聞の再評価...

 ニュースは「新しい」もののはずだが、紙の新聞に書かれている中身はけっして最新ではない。スクリーンを使えば、数秒で世界中を駆けめぐり、最新ニュースすべてをほぼリアルタイムで入手できる。オンラインニュースを見て血湧き肉踊るのは、この時代ならではの醍醐味である。
 他方、紙の新聞は20年前と比べてもさらに「役に立つもの」になっている。モレスキン手帳と同じくネットにつながらないから、デジタルの渦を抜け出して穏やかで忍耐強い内面世界へ入り込むのに役立つ。心を踊らすのは素晴らしいし大切なことだが、冷製になるのもまた重要である。いまわたしはただ紙の新聞とだけ向き合っている。ゆっくり目を通し、注意を引かれた箇所で止まり、それについいて時間をかけて考える。これらはスクリーン上で滅多にしないことだ。紙の新聞は気持ちを落ち着かせてくれる。

 なるほどなあ。これもわかる。
 ちなみに最後の「インターネット安息日」は著者の家族が土日はインターネットに繋げない日に決めているという話。そういう方法もあるだろうけど、すでにネット中毒の自分には真似できそうもないなあ...。でも、そういう人ほど必要なのか...。