ノーマン・ディヴィス『ワルシャワ蜂起 1944』
- 作者: ノーマンデイヴィス,染谷徹
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (4件) を見る
- 作者: ノーマンデイヴィス,染谷徹
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (4件) を見る
この本では、蜂起までの政治情勢について、英国を中心とした連合国、ドイツ、ソ連、ポーランドそれぞれの立場からかなりの紙数を割いている。読んでいると、なぜ、そこからワルシャワ蜂起を説き起こさなければならいのか、よくわかる。ポーランドは1939年にドイツだけでなく、ソ連(ロシア)からも侵略されている。そして、ナチスドイツと同様に、ソ連も「カティンの森」で知られる虐殺を行っていた。本書の中でも、カティンの森で虐殺されたことを知らずに、夫をロシアまで探しに行った妻がソ連に逮捕され、さらに独ソの協定に従ってドイツ側に引き渡され、ナチスの強制収容所で死んだという悲劇が紹介されている。
ソ連がドイツと戦うようになってからも、ソ連の占領地域では、共産党以外のレジスタンスは排除され、ロンドンにあった亡命政府の指揮下にあった国内軍の関係者は武装解除され、拘束、士官は強制収容所送りになっている。ソ連は解放軍とはいえなかったわけだ。ソ連がドイツを撃破することは期待しつつ、かつての侵略者、ソ連を信用もできなかったのだなあ。ワルシャワ蜂起を支援しようにも、他の地域のレジスタンスは、ドイツだけではなく、ソ連も突破しなければ、ワルシャワには到達できなかった。
加えて、ソ連は単にワルシャワの手前で進軍を止めただけではなかった。間近にいながら、武器・食料の支援もしようとなかった。英国と亡命ポーランド軍はワルシャワへの空輸を断行するが、ソ連は着陸を拒否。米軍が一度だけソ連の基地を利用できただけだった。結局、英国とポーランド軍の飛行部隊はイタリアから1000キロ以上、飛んで、空輸作戦を断行するが、その際、ソ連から対空砲火を浴びたこともあったという。
ドイツとポーランドを戦わせて、両方、死んでしまえばいいというようなソ連のこの政策に、米国も英国も強く抗議しなかった。「カティンの森の虐殺」に抗議する亡命ポーランド政府も両国は黙殺する。米国にとっては、対日戦も控え、第2次大戦に勝利するには、ソ連の協力が必要で、ポーランドは瑣末な問題だった(問題なのは大統領選の時のポーランド系の票だけ)。一方、英国は外務省からメディアに至るまで親ソ派が浸透し、情報機関にもソ連のスパイが入っていた(ジョン・ル・カレの小説のモデルによくなっている、キム・フィルビーとか)。また、大戦に勝利するにはソ連の力が必要であり、米国の意向も無視できない。そんなこんなで、ポーランドは見捨てられていく。
英国とポーランドは戦前から同盟関係があった。だから、ドイツのポーランド侵攻とともに、英国・フランスとドイツは戦争状態に突入し、第2次世界大戦が始まる。英国がヨーロッパでの仮想敵国はドイツであり、第1次大戦同様に、ドイツを挟み込むというのが基本思想だったのだという。本来ならば、ソ連だったのだろうが、ナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を結んだことで、ソ連との同盟はなくなり、次善として選ばれたのがポーランドだった。そう考えると、独ソが交戦し、ソ連が東部戦線を形成してくれるのならば、ポーランドの重要性は減ってしまう。ポーランドは同盟国・英国のために、バトル・オブ・ブリテン(これを描いた映画は「空軍大戦略」)、モンテ・カッシーノ、ノルマンディー上陸作戦(映画化は「史上最大の作戦」)、マーケット・ガーデン作戦(この映画化が「遠すぎた橋」)などの激戦を戦い、多大な犠牲を払うが、見捨てられてしまう(多くの激戦で最も厳しい仕事を割り振られている)。それにもかかわらず、西側同盟国は、ワルシャワよりもモスクワを選択した。悲しい政治力学だなあ。
ワルシャワ蜂起は絶望的な状況の中での激烈な戦いであり、その様子は蜂起の中心となった国内軍(ポーランド亡命政府の地下軍事組織)、市民、ドイツ、それぞれの視点から多角的に描かれる。ドイツ軍といっても、ウクライナ人部隊が最も嫌悪されていたとか、ドイツ軍に参加していたハンガリー軍には親近感が持たれていたり、民族同士の関係は複雑。コラムの形で、手記やインタビューが紹介され、市民の誰もが国内軍を支持していたわけではないし、ドイツ兵に助けられた人の話も出てくる。ユダヤ人の身分を隠し、ドイツ軍相手に大儲けしていた人の話もあるし、蜂起軍に包囲されたビルの中でドイツ兵の自殺が相次いだなどという話もあり、生々しい。また、このなかでは「戦場のピアニスト」にも出てくるドイツ将校の手記も紹介されている。
この本、蜂起の後、ポーランドの戦後も語られるが、驚くのは、戦後45年近く、「ワルシャワ蜂起」を肯定的に語ることはタブーだったこと。ポーランドをソ連の支配下に置くために作られた共産党政府は、蜂起に参加した兵士たちやポーランド亡命政府の関係者を反ソであろうが、なかろうが、犯罪人扱いしてきた。「ワルシャワ蜂起」やナチスの強制収容所を生き抜いた人が、共産党政権に逮捕、投獄、処刑されていったというところを読むと、暗澹としてくる(その前に、ドイツがソ連に侵攻した時点で、ポーランド共産党の幹部はスターリンによって粛清、壊滅していたという話ももすごいが...)。
それだけの弾圧のなかでも、民主化を目指す「連帯」運動が生まれるところは、ポーランドの抵抗の歴史は失われなかったのだなあ。そしてソ連の崩壊によって冷戦が終結し、最後はポーランドも解放されたと言っていいのだろうが、ポーランドにとっては、1939年のナチス・ドイツとソ連の侵攻によって始まった戦争と支配は、そのときまで終わっていなかったのだなあ。それまでに、どれだけの血が流れたのだろう。その日を迎えられなかった人も多かったのだろうなあ。読みながら、そんなことも考えてしまった。
ともあれ、国際政治の非情さと、ポーランドの不屈の精神を改めて知ることができる本。そして、筆者が中間報告という「ワルシャワ蜂起」の歴史が書かれるまでに半世紀が必要だったことを思うと、誠実かつ公正に記録するということがいかに困難な仕事かということがわかる。
目次で、内容を記しておくと...
第1部 蜂起の前
第1章 連合国
第2章 ドイツ軍による占領
第3章 迫り来る東部戦線
第4章 レジスタンス
第2部 蜂起
第5章 ワルシャワ蜂起
第3部 蜂起の後
第6章 敗者は無残なるかな
第7章 スターリン主義体制下の抑圧
第8章 蜂起の残響
終 章 中間報告
結局、ワルシャワ蜂起の勝者はスターリンだった。そして怖いと思うのは、ワルシャワで市民を女性、老人、子どもまで虐殺したナチス親衛隊の指揮官は戦後、ニュールンベルク裁判のソ連検事側証人となって裁かれていないこと。それどころか、ワルシャワ蜂起での市民虐殺そのものがニュールンベルク裁判では取り上げられていないという。取り上げれば、なぜソ連が蜂起を見殺しにしたのかという問題が出てきたしまうためだったという。
この本を読んで、改めて思うのは、アンジェイ・ワイダが「カティンの森」「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」を撮ったのは、ポーランドの現代史そのものだったのだなあ。そして「カティンの森」を21世紀になってからでしか、撮れなかったところに問題の複雑さがあるのだな。「カティンの森」事件の封殺には、ソ連だけでなく、米国も英国も加担してきただけに、ポーランド人には複雑な感情があるだろう。同盟に対して懐疑的になるだろうなあ。
一方、この本では、当時の言論を紹介しているが、そこでの反ポーランド・キャンペーンといってもいい西側ジャーナリズムの様子も紹介している。そんななかでも当時からソ連の謀略を見抜き、的確な論評を展開していたのはジョージ・オーウェルだという。やはり誠実な人だったのだなあ。それにオーウェルの場合は、カタロニアでソ連の手口は見ていたから...
この本、蜂起のときだけでなく、戦後の振る舞いも含めて、絶望的な状況の中で人間がいかに誠実に生きるかという物語でもあるかもしれない。それは、なかなか難しいけど。自分が生きている間に報われるかどうかもわからないわけだから。