山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』
- 作者: 山田宏一
- 出版社/メーカー: ワイズ出版
- 発売日: 2010/06/01
- メディア: 単行本
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ゴダールの時代は7つの時代に分かれるという。
1.「カイエ・デュ・シネマ時代」(1950-59)
2.「アンナ・カリーナ時代」(1960-67)
3.「毛沢東時代」(1968-73)
4.「ビデオ時代」(1974-80)
5.「1980年代」(1980-85)
6.「天と地の間の時代」(1980-88)
7.「回想の時代」(1988-)
こうして見ると、3以降は、政治活動家であったり、哲学者、アーティストとしての映画になってしまって、一般的な商業映画と決別してしまう。そのため、近寄りがたいイメージができるのだが、1と2の青年時代は、この本を読むとイメージが変わる。「軽蔑」でブリジット・バルドーの機嫌を取るために得意な逆立ちを見せたり、破産しかけたプロデューサーのために2本並行で映画を撮ったり、愛する美しいアンナ・カリーナを撮ることを目的にしたような映画もある。一方で、若い頃は友達の本を勝手に売ったり、行儀の良くない部分もある。そうした全てが映画に結実していくところが様々なエピソードを通じて語られていく。
目次で、内容を見ると...
序に代えて
なぜ「アンナ・カリーナ時代」なのか
アンナ・カリーナに聞く
ジャン=リュック・ゴダールからJLGへ
勝手にしやがれ
小さな兵隊
女は女である
女と男のいる舗道
カラビニエ
軽蔑
はなればなれに
恋人のいる時間
アルファビル
気狂いピエロ
男性・女性
メイド・イン・USA
彼女について私が知っている二、三の事柄
中国女
ウィークエンド
ラウル・クタールに聞く
後記に代えて
「勝手にしやがれ」から「ウィークエンド」までは作品論。ゴダールの作品を「コラージュ」と言っているのが印象に残った。文学、映像、音楽、さらには現実の人物を映画の中に登場させることなど、さまざまな引用から作品が成り立っている。このゴダールの手法はインターネットの時代に合っている。WWWはリンクという壮大な引用から成り立っている。ブログにしても、Twitterにしても引用から新たなコンテンツを生んでいく。
ともあれ、各作品についてもエピソード満載で面白かった。「勝手にしやがれ」の即興的な台詞が、実は俳優のアドリブではなく、画面に映らないところからゴダールが囁き、それを俳優が自分の言葉で語るという手法で撮られていたというのは初めて知った。計算されていないようで、すべて計算され尽している。それが「ゴダール風映画」の支離滅裂な行き当たりばったりの映画と本当の「ゴダール映画」の違いらしい。
アンナ・カリーナとの関係も面白い。最初に会ったのは「勝手にしやがれ」のオーディションで、いきなり「脱げ」といってカリーナに嫌われたりしている。カリーナは「気狂いピエロ」を撮ってから離婚したのかと思っていたら、あれは離婚後の作品だという。夫婦はわからない。
とはいうものの、実はゴダールの映画はDVDやテレビで見ているぐらいで、あまり見てない。この本を読んで、見たくなったのはアンナ・カリーナ主演の「女は女である」「アルファビル」「気狂いピエロ」。でも、アマゾンで見ると、いま売られているのは「女は女である」ぐらいで、残りの二本は中古品でしか手に入らないようだ。このあたりもゴダールっぽい。
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