川本三郎『マイバック・ページ』

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

 川本三郎氏は大好きな評論家だが、「朝日ジャーナル」記者時代に朝霞自衛官殺人事件に関係し、朝日新聞を解雇された過去を持つことは知っていた。その当時のことを回想したのが、この本。妻夫木聡松山ケンイチで映画化されたことで、本書の存在を知り、読んでみた。1969年の朝日新聞入社から72年に解雇されるまで、「週刊朝日」「朝日ジャーナル」で過ごした日々が描かれる。時代は東大安田講堂占拠事件から連合赤軍事件まで新左翼運動の昂揚から幻滅までの激動期。22歳で自殺したタレントの保倉幸恵との交流なども出てくるが、クライマックスは赤衛軍による朝霞自衛官殺人事件となる。
真夜中のカーボーイ [Blu-ray] この事件については自己正当化に陥るわけでもなく、当時の事情と心情をありのまま誠実に描いている。しかし、それであるがゆえに、自分たち安全地帯にいるというジャーナリストの特権意識も透けて見えるし、自衛官の殺害についても被害者に対する同情の念が見えない(兄に指摘されて気づく場面がある)。取材結果を編集部に信用させるために、殺人事件の証拠品である「警衛腕章」を受け取るというのは、記者としての「野心」が先行し、「殺人」という重みが見えてこない。デモで死者が出る時代だったから、死に無頓着になっていたのだろうか。
 ジャーナリストとして若かったと思う。さらに当時の朝日新聞は、新聞対出版局の対立に加え、出版局内も「朝日ジャーナル」編集部の新左翼シンパのパージで新旧編集部が対立するなど、組織に信頼関係がなく、若手をサポートする体制がなかったこともわかる。この事件は、ナイーブな若手ジャーナリストが、ナイーブなままに突っ張っているうちに深みにはまってしまったという感じもする。ジャーナリズムも経済学と同じように、クールヘッド・ウォームハートだと思うのだが、ホットヘッド・ホットハートの記者だった。そんな時代だったのかもしれない。
 事件を起こす「K」を「宮沢賢治」「CCR(クリーデンス・クリヤーウォーター・リバイバル)」「真夜中のカーボーイ」のファンだということで信用するというのは、あまりにも文学的。「K」に入れ込んだ背景には、新左翼内部での東大・京大エリート主義への反発もあったようだ。川本氏は、ジャーナリストというよりも、文学者なのだなあ、と読んでいて思った。