ドミニック・ボダン『フーリガンの社会学』

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)

 フーリガンといえば、無学・無職、酒飲みで貧しく粗暴な英国人の暴徒集団。だが、それはメディアが流布した先入観に基づく誤ったイメージだという。フランス人の筆者は、様々なデータをもとにフーリガンの実像に迫ると同時に、サッカーと暴力の社会学を論じる。フーリガンイングランドに限らず、フランスでも、どこの国でも、対立するサポーター集団が死傷者まで出す暴力事件を引き起こすことがあるという。さらに、歴史をさかのぼってみれば、こうした暴走はサッカーだけの話ではない。ゲームの応援団同士が衝突し、死傷者が出た例を探れば、西暦59年にポンペイで起きた事件にまでさかのぼるという。このときは剣闘士の試合で、応援するグループ同士が乱闘になったのだという。そんなこんなで、古来、トラブルを防ぐ方法も現代と共通していて、治安当局が競技場で応援団を隔離したのだという。こうしたトリビアみたいなネタも満載で、面白い。
 フーリガンの実態についていえば、警察のデータは逮捕された者だけを対象にしたもので、全体像を反映していないという。逃げ遅れた者、要領が悪い者だけを集めただけのサンプルじゃないか、というわけ。確かにデータには偏りがあるかもしれない。で、この本では、フランスのサポーターを対象にしたフリーガン調査の結果を紹介している。データから浮かび上がるのは、フーリガンは無学でも無職でもないこと。39.21%は学生・生徒。83.7%はなにがしかの職に付いているという。しかも暴力的な学生・生徒の37.8%の父親は上級管理職。67.5%は大学入学資格試験に合格しているか、学士号を手にしているという。恵まれない社会階層の反乱という図式では捉え切れないものがある。こうしたデータを見ていると、先日の英国の暴動に、教師や大学院生が入っていたという話を思い出す。暴動の背景に、社会的な不安や不満があることは確かだが、それを貧困層や無知・無学な大衆層の反乱という階級闘争論という型にはめて答えとするのも単純過ぎるのだろう。
 社会学の教科書のような本で、フーリガンの行動原理、社会的性格・特性をジャーナリスティックに単純化して、解説しているわけではない。むしろ、スポーツと暴力について考えさせてくれる本と言っていいかもしれない。
 まず、目次で内容を紹介すると、こんな感じ。

はじめに
第1章 フーリガン現象−−歴史と現代性の狭間で
第2章 諸批評と論点
第3章 サッカー−−普遍的スポーツから党派的情熱へ
第4章 スポーツの群衆−−雑多な世界
第5章 フランスにおけるフーリガン現象
結論に代えて

 で、いくつか抜書きすると、結論でいわれているのは、こんなこと。

青少年犯罪のケースと同様、フーリガン現象を階級間の闘争と混同することはやめるべきだろう。この暴力は、端的にいえば、「規範の破裂」(ヴィエヴィオルカ、1999年)、若いサポーターをまとめる人間の不在、社会的空白、でたらめ、共犯関係やいい加減さを明るみに出している。それらは人材難を、つまり経営者とサポーターとプレイヤーを統率する人間が少ないことを浮き彫りにしているのである。

 筆者は、過去、大量の死傷者を出したスタジアムでのフーリガン事件を検証して、チケットの乱売や警備のお粗末さに問題の原因を求めている。
 これ以外で、気になったところでは...。まず、フーリガンの語源...

あるジャーナリストは、この出来事をリポートするために適切な言葉を用いたいと考え、暴力的な観衆を「フーリハン」と名づけた。この言葉は、アイルランド起源の言葉で、反社会的行為、反乱時のきわめて暴力的な態度から、ヴィクトリア女王の治世下で首を切られた一家の名前である。しかし、いついかなる理由で、「フーリハン」が「フーリガン」に移行したのかはわからない。可能性が高い理由は、印刷上の誤植である。

 キーボードの「H」と「G」は隣だから、打ち間違えたのではないか、という説もあるらしい。
 一方、フーリガンのメカニズム。

 フーリガンは、自分の属する社会階層や庶民階層を守るために権利を主張しているのではない。コーザーの研究に拠るならば、フーリガンは共同体にとっての危険信号であり、イギリス社会の根深い機能不全を明白な形で表現している。このタイプの暴力は、都市暴動と同じく「まずなにより、社会が必要としている政治的制度的な処理方法が、すでに疲弊しきっていることを証拠だてている」(ヴィエヴィオルカ『フランスにおける暴力』)、サッカーは道具となり、社会から締めだされた若者たちの社会・経済的な彷徨の豊かな表現となる。社会人類学から出発したテーラーとクラークは、サポーター集団の仕組みを描き、それは社会的結合からなる複雑な世界であることを描きだしている。社会が衰微しつつあるように思える一方で、サポーター集団には励ましあい、支えあい、連帯している感覚がある。サポーター集団は、排除と敵対を通じて結晶化し、他者・外国人に敵対する。外国人とは、自分と同じ国籍の者を仕事を奪っていく者を指す。いくつかの集団(支配的なスキン・ヘッドや右翼)は、独自のイデオロギーや人種差別的なスローガンを表明することになんら躊躇を感じていない。(略)ヴィエヴィオルカによれば、人種差別は、現代への拒否なのではなく、むしろ排斥されて社会のなかに居場所がなくなることへの恐怖から起こる。(略)サポーター行動と暴力は、みすぼらしく薄汚い日常から、彼らを外に連れ出す。最も色褪せた日常生活からの逃げ口、出口なしの未来に基盤と意味を与えてくれる。

 この最後の部分は、先日のロンドンの暴動と重なり合っているように見える。ロンドンでも、移民の店が襲撃されていた。ロンドンの暴徒にとっては、サッカースタジアムではなく、ネットやSNSがスタジアムだったのかもしれない。
 次に、サッカーの起源...

 1828年から40年までラグビーカレッジの指導者だったトーマス・アーノルドが、イギリスの「公立学校」に運動競技を導入し、ボール競技の規則をアレンジしながらサッカーを突然、作り上げた。そのとき、誰も、このもともとは身体的で教育的な活動が、少なくとも2世紀にわたって真に普遍的な唯一のスポーツとなるとは想像さえできなかった。

 公立校の体育教育を想定して考え出されたのか。だから、蹴るものがあれば、成立するという、どこでも、いつでも、できるスポーツだったのか。倒れても怪我しない、クッションのような分厚い芝生のグラウンドが不可欠の「貴族がプレイする不良のスポーツ」、ラグビーでもなく、道具が必要になるクリケットでも、テニスでもないスポーツの選択肢としてサッカーが提供されたのか。パブリックスクールではなく、公立校のスポーツとして考えだされたから、どんな貧しい国でもできるし、異なる階層や国籍の人間がチームを作って戦うという美しい民主主義的な連帯がうたわれたスポーツだったわけか。サッカーの起源を知ると、なぜ、これほどまでに、この競技が広がったのか、その強さも理解できる。