エマニュエル・トッド『アラブ革命はなぜ起きたのか』

アラブ革命はなぜ起きたか 〔デモグラフィーとデモクラシー〕

アラブ革命はなぜ起きたか 〔デモグラフィーとデモクラシー〕

 識字率出生率、内婚率をもとに社会構造の変化を読み解き、イスラムとの文明衝突論を批判した『文明の接近』は極めて刺激的な本であると同時に、チュニジア、エジプト、リビアなど「中東の春」ともいわれる民主革命を予言した本でもあった。チュニジア、エジプトなどでの革命が現実化したのを機に、そんなエマニュエル・トッドにダニエル・シュネルデルマンとアンヌ=ソフィ・ジャックがテレビ番組でインタビューした対話録。現実の問題をもとにトッドの考えがわかりやすく整理されていて面白い。中東の革命というと、すぐにイスラム原理主義の陰謀みたいは話がテレビで語られるのだが、識字率出生率、内婚率、家族の構造などから革命をもたらす社会構造の変化が解説され、陰謀史観を粉砕する。
 目次で内容をみると、こんな感じ...

第1章 アラブ革命は予見可能だったか?
第2章 識字率出生率民主化
第3章 誤解されいているイラン革命と現体制
第4章 イスラーム圏の内婚制と近代化
第5章 トッドの手法ーー歴史家か、人口統計学者か、予言者か?
第6章 アラブ圏の民主化とフランス
第7章 宗教は関与していない
第8章 老化という西欧の危機
第9章 中国とロシアの民主化
第10章 ドイツーー昨日はナチス、今日はエゴイスト
第11章 「民主化」「進歩」とは何か?ーー人類学的要因と外的要因
第12章 人口動態から見たアラブ革命

 目次を見ただけでも面白いが、中身も面白い。これに訳者の石崎晴己氏による「トッド人類学入門」という解説がついている。
 この本、話はアラブだけではなく、欧州、ロシア、中国など世界に及ぶ。トッドは、2011年の初めに、今年がユーロ終焉の年になると予言していたらしいが、現在のEUの混乱を見ていると、それも当たっている。その原因は経済問題と言うよりも、ドイツの家族構造にあるというような話になってくるが...。
 で、読んでいて、面白かった部分をいくつか。抜書きすると、まず、トッドではなく、ダニエル・シュネルデルマンが書いていた解説のこんな一節...

 テレビのインタビュー番組では、私は回答よりも質問に聞き耳を立てる癖がある。質問の方が、隠れている秘密を暴露してくれるのだ。質問は自分がそのように暴露しているとは思っておらず、中立性の外見を保とうと努めているだけに、なおさらそうなのである。その上、昔から論争の的だが、もし「テレビの影響」なるものがあるとすれば、それは人が普通考えるような経路を通って及ばされるのではないと、私は確信している。つまりむしろ、見たところこの上なく無害な話者や、言説や、映像を通して及ばされるのである。国営テレビとは、客観的な質問の陰に隠れて、どれほど人を愚鈍にし恐怖を植え付ける装置となるものか、これほど明瞭にわかったことはこれまでになかった(略)

 フランスの公共テレビ「フランス2」のエジプト革命ムスリム同胞団に関する番組を見ての感想だが、それに限らず、普遍的な問題を指摘している。
 続いて、トッドが語る西欧の危機...

 西欧の危機は、老人たちの危機ですから、極めて独特です。自分のことを言うなら、私は今年中に60歳になります。まあそんな具合に、だれもがいささか老いぼれているのです。年老いて国では、危機は極めて特殊な様相を呈します。危機にある老人たちは、自分の苦しみを訴えるために街頭に繰り出すことなどということをしません。それに若者たちは、体制を転覆させることができるだけの臨界に達するような勢力をもつことがありません。ですから今の社会では、生活水準が低下し始め、人々はもはや自分がどこに行くのか分からなくなっています。その上、われわれ西欧の社会はその奥底において、長い期間にわたる宗教的信仰の不在によってかなり混乱しています。

 「床屋談義なみの発言」とトッドは言っているが、日本にも共通する問題。で、宗教不在の社会がイスラム異質論を生んでいるという話...

 もはや誰も何も信じない。そういう社会になってしまったら、人はただ一人片隅で、「私は何者か、どこへ行くのか、いかなる誤りの中を彷徨っているのか、等々」という問いに立ち戻らなければならなくなります。そこでイスラーム教が、一種名指しされたスケープゴートのようなものになるのです。1965年頃まで、遅れた人間だと名指しされるカトリック信者がいっぱいいました。ところがその後、われわれに代わって、証明できないものを信じるという恥をいつでも背負い込むことのできるカトリック信者が手近にいなくなったので、さっとばかりに、イスラーム教に飛びついたのです!

 いささか乱暴に聞こえるけど、面白い指摘。あるかもしれない。
 最後に家族構造と社会について...

 ドイツのように戦後に至るまで、家族構造の中に兄弟の根本的不平等性(長男に財産の相続権)を保ち続けた国々、人々の無意識の中に人間は不平等だという観念が宿っている国々では、不平等主義的な移行間イデオロギーの出現が確認されます。ドイツは、偉大なる普遍主義的イデオロギーの誕生にポジティブな貢献を大量にもたらしたなどと、言ってもらいたくないですね! ナチズムという事態が紛れもなく起こったのですから! 移行期において出現した日本的な民族観というのも、同じくこの類いです。直系家族の小国には、住民が己は非常に他の民族と異なっていると感じるだけで済んでいる、ソフトなバージョンが見られます。スウェーデン人や(スペイン東部)のカタルニア人は、自分たちは異なる者だと感じています。

 なるほど。この指摘も面白い。ともあれ、こうした刺激的で、時には論争や反発を生む言葉が至るところにあるが、今を考えるのに良い本。
【やぶしらず通信・関連ログ】
エマニュエル・トッド、ユセフ・クルバージュ「文明の接近」を読んで(2009年6月22日) => http://bit.ly/u14TKu