「ヒトラーの共犯者たち」ーー群像劇で見るナチスドイツの興亡

 年末年始に見るようなものでもないような気もしたけど、NETFLIXで見てしまいました。

www.netflix.com  10話完結のドキュメンタリー。悪はひとりではならず、とでもいうのでしょうか、ナチスドイツの興亡を、ヒトラーを取り巻く側近たちの群像劇として描く。そこが新鮮であり、一人ひとりの運命の変遷に興味を覚える。ナチスがどれだけの悪をなしたとしても、ヒトラーひとりでできるわけもなく、ともに政策を練り、実行する人々がいたということ。ゲーリング、レーム、ヘス、ゲッペルスヒムラー、ハイドリヒ、ボルマン、シュペーアなどなど。それぞれの野心と権力欲、忠誠心が織りなす物語に引き込まれた。

 ナチスの高官たち、名前は知っていても、どのように育ち、どのような役割を果たしたかは意外と知らない。マルティン・ボルマンが何をきっかけに政権中枢に成り上がったのかは、このドキュメンタリーを見て初めてわかった。第1回に登場するディートリヒ・エッカートは名前も知らなかった。この国家主義者がヒトラーを発見し、教育するという、いわばインキュベーターの役割を果たした。そして自分が育てたのが怪物だと知ったときには、もはや制御しようもなくなる。

 ともあれ、ヒトラーを取り巻く人々の来歴や役回り、側近同士の嫉妬や権力闘争、陰謀などなど「仁義なき戦い」のような感じ。ヒトラーを利用しようとした者、心酔していた者、それぞれといった感じで、ナチスドイツの崩壊過程に入っても、殉じる者、逃げる者、連合国と取引しようとする者など様々。

 ナチスドイツというのは帝国をめざしたときから総力戦を展開した国かと思ったら、側近同士の縄張り争いも激しくて、総力体制へ持っていくために時間を要しているのも意外だった。戦況が劣勢になってから、ようやく動き出す。独裁国家は独裁者を向いて仕事をするので、国家としての効率性というものは二の次にされるのかもしれない。独裁者は側近たちを競わせて、自らの地位の安定化を図るから、さらに全体としての効率性は追求できないのだろうか。

 初めて知ることも多々あった。ゲーリングミュンヘン蜂起の際に負った負傷の治療をきっかけにモルヒネ中毒になっていたとか。「長いナイフの夜」で粛清されたレームは一時、党の本流から外され、南米に移住していたのを呼び戻されて突撃隊の指揮官になったというのも知らなかった。帰ってこなければ、生命を失うこともなかった。

 ヒトラーが核であったことは確かなのだろうが、組織、集団というものは、さまざまな人が集まることで化学反応を起こして暴走を始めるのだと改めて思う。同じような群像劇はどの政権でも見ることができるのだろう。トランプ政権、安倍政権、プーチン政権、習近平政権では、どのような側近たちの権力闘争が演じられているのだろう。善に向かったときは良いのだろうが、悪に向かったときは...。

 過去だけでなく、現代についても考えさせられるドキュメンタリーです。NETFLIXには良いドキュメンタリーが多い。