吉田満「戦艦大和ノ最期」
- 作者: 吉田満,鶴見俊輔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1994/08/03
- メディア: 文庫
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しいていえば、第一は死生の体験の重みと余情とが、日常語に乗り難いことであろう。第二は、戦争を、その只中に入って描こうとする場合“戦い”というものが持つリズムが、この文体の格調を要求するということであろう。
なるほど。確かに敗戦直後、奇跡的に生還した大和の乗組員が、まだ記憶も生々しいときに、これを書いているわけで、文体によって距離を置く必要があったのだろう。その文語体によって、この作品は、近代日本の象徴といえる戦艦大和の死を記録している。大和の沖縄海上特攻自体が、軍事的というより、日本海軍のシンボルとしての敗北の儀式であり、それは近代日本の敗北の象徴でもあったのだと改めて思う。そして、この敗北の構造はいまの日本でも変わらないように思える。戦艦大和特攻の意味に関する白淵大尉を自分自身で、こう総括したという。
進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘スレテイタ 敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ
この言葉を戦後、日本銀行に勤めた吉田満はどのような思いで、心に抱えていたのだろう。特に復興、高度成長を果たした70年代以降に。
もう一つ、この本を読んで思うのは、人間の生と死を分かつものは、ほんの偶然に過ぎない。戦争では、それが露骨に出る。その時代を生きた青年士官や兵卒ひとりひとるの描写も含め、戦争文学の傑作である。