マン・レイ展(大阪・国立国際美術館)

 国立国際美術館は、金曜日は19時まで開館しているので、東京で見逃した「マン・レイ展ーー知られざる創作の秘密」を見に行く。マン・レイというと、カメラマンというイメージを持っていたのだが、展示は写真はもちろん、素描、絵画、オブジェから映画に至るまで多方面に及んでいた。マン・レイも、第1次大戦と第2次大戦に挟まれた、つかの間の平和の時代にパリで活躍したアーティストたちのひとりであったことを改めて知る。
マン・レイ 〔骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書〕 (シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目) 一方で、年代ごとに作品を辿っていくと、第2次大戦以降のマン・レイには往年の輝きが失われてしまったように見える。戦争とともにマン・レイは祖国の米国に帰るが、欧州情勢が落ち着くと、パリに戻り、終の住処とする。マン・レイにとって米国はけっして恵まれた環境ではなかったという印象を受ける。米国はプロテスタンティズムの国で、第2次大戦前ともなれば基本的に田舎文化。パリが持っていたコスモポリタン的な国際都市としての自由も知的な刺激もなかったのだろう。米国とパリとでは芸術の歴史も知的な蓄積も芸術の自由度も雲泥の差がある。マン・レイは米国には耐えられず、望郷の念しかなかったのかもしれない。
 ただ、戦後のパリにマン・レイが求めていたものがあったのかどうかもわからない。世界大戦間のパリが突然変異のように生まれたグローバルで自由な芸術環境だったのかもしれない。世界各地の美の天才、異才、奇才がパリに集結したことから生み出された奇跡的な瞬間であり、戦争とともにみんなが各国に散ることで、マン・レイが知るパリは消滅してしまったのではないか。
 マン・レイにはパリが似合うし、パリが生み育てたアーティストであったのかもしれない。パリを離れると、その輝きも失われてしまう。
★「マン・レイ展」オフィシャルサイト
 http://www.man-ray.com/
マン・レイ自伝 セルフ・ポートレイト マン・レイ(ポケットフォト) 美の20世紀〈11〉マン・レイ (美の20世紀 11)