結局、福島原発事故を国(特に北沢防衛大臣)は「危機」と思っていなかった? おまけに言い訳にウソ?

 3月11日に東日本大震災が起き、福島原発で問題が発生したとき、清水社長は関西出張、勝俣会長は中国出張で、東京本店には東電の最高指揮官はいなかった。地震発生から交通網は大混乱、清水社長が民間ヘリをチャーターして本店に到着したのは、翌12日午前10時。国家の危機なのだから、清水社長は国に協力を要請してでも、東京に早く戻るべきだったとの批判を浴びていた*1。しかし、実は拒否したのは国のほうだった...

東京電力清水正孝社長が、東日本大震災が発生した3月11日夜、出張先の関西から東京に戻る途中、いったん航空自衛隊小牧基地(愛知県)をC130輸送機に乗って離陸しながら、北沢俊美防衛相の指示を受けてUターンしていたことが26日分かった。清水社長の自衛隊機搭乗は経済産業省からの依頼とみられるが、北沢氏は正式要請はなかったとしている。また、北沢氏の許可なく輸送機は離陸しており、自衛隊の判断に疑問も出ている。

 何だか北沢大臣のほうが正しい書き方だけど、本当にそうなんだろうか。結局のところ、清水社長を自衛隊機で東京に戻せという指示を出した人以外、誰も福島原発事故を国の危機として認識していなかったんじゃないのか。3月11日の夜になっても、国家としての危機管理が機能していなかったという身の毛もよだつ話じゃないのか。
 で、これについて北沢大臣は...

北沢氏は26日の閣議後会見で「連絡の行き違いがあったとは聞いている。しかし、新幹線が動き、高速道路が閉鎖されていない中、対応する道があったのではないか。正式な官庁間協力の要請はなかった」と述べた。

 これは責任回避のウソじゃないのか。新幹線が動いていれば、こんな要請は出てこないし、だったら、なぜ清水社長は名古屋で立ち往生していたのかという話になる。だいたい、12日未明まで続いた首都圏の帰宅難民を北沢大臣は全く知らなかったのだろうか。あの日、東京に帰れる状況だったか。大臣室の中にいて、首都圏がどんな状況だったのか、知らなかったのだろうか。
 で、産経新聞には、帰京を目指す清水社長の苦闘ぶりも...

清水社長は震災当日、関西に出張中で、奈良市平城宮跡も視察した。東電によると清水社長は午後3時ごろ、帰京すると伝えてきたが、東京に向かう高速道路が通行止めとなり、奈良から名古屋まで電車で移動。名古屋空港から東電グループの民間ヘリで帰京しようとした。だが、航空法の規定でヘリは午後7時以降は飛行できなかった。

 これまた絶句...。有事でも一律禁止と...。で、こんな話が官邸で...

防衛省によると、午後9時半ごろ、首相官邸にいた運用企画局長に対して、清水社長を空自輸送機に搭乗させるよう要請があった。官庁間協力に基づく、経済産業省からの働きかけとみられる。

 経済産業省の要請というところが防衛大臣は嫌だったのだろうか。事後承諾を求められたのだろうが、大臣のメンツの問題だったのだろうか。国の最高指揮官である首相は何をしていたのだろうか。危機管理監、危機管理担当の官房副長官はどうしていたんだろう。
 今回の事故対応、東電にも問題はあったと思うが、その東電の足を国が引っ張っていたのか。やっぱり今回の震災、天災だけではなくて、人災もかなり入っているんじゃないかという気がしてくる。この手のおぞましい話がこれからも出てくるのだろうか。

*1:FACTA」2011年5月号「東電を『去勢』した生兵法」では「東京・内幸町の東電本社は、陣頭指揮を執る首脳が不在だった。会長の勝俣恒久は副社長の皷(つづみ)紀男を伴い、マスコミOBらと北京にいた。社長の清水正孝は関西出張中で、新幹線がストップしたため、急遽ヘリコプターをチャーターして東京へ飛んだ。緊急なのだから警視庁のヘリポートにでも降りればいいものを、新木場に到着。高速で大渋滞に巻き込まれて時間を空費してしまう」と書かれていた。