シャビ『シャビ バルサに生きる』

シャビ バルサに生きる

シャビ バルサに生きる

 FCバルセロナ、そしてスペイン代表の攻撃的ミッドフィルダー、シャビの自伝。自らもFCバルセロナのソシオ(ファンクラブ会員)であり、バルセロナの下部組織であるカンテラで10歳のときから育てられてきた選手だけに、シャビの歴史はバルセロナの現代史でもある。いまは世界屈指のMFだが、身長170センチとサッカー選手としては小柄な上、「俺が、俺が」タイプでもないのでずいぶん非難にもさらされてきたことも知る。小さな時から評価は高かったが、必ずしも順風満帆だったわけでもない。ケガもあった。やはりサッカー選手には怪我はつきものなのだな。
theWORLD別冊 史上最強バルセロナのすべて (講談社 MOOK) 読んでいると、バルセロナというクラブがいかに地域に密着した存在であるかが分かる。祖父も母も熱狂的なバルセロナのファンで、祖父の前で「レアル・マドリード」は禁句。父親の知人から破格の条件でACミランへの移籍話が来た時も、母親がバルセロナでなければ、離婚すると言って頓挫。シャビの夢はバロセロナで現役生活を終えることである。この夢の背景には、悲しい現実があって、ドリームチームといわれたバルセロナ黄金時代をつくった伝説的ミッドフィルダーグアルディオラでさえ全盛期を過ぎると、バルセロナから放出され、イタリア、カタールと渡り、メキシコで現役生活を終えている。このチームの仕打ちは、シャビにも心の傷になっている。FCバルセロナというクラブを熱烈に愛しながら、経営については微妙な距離があるし、メディアやファンの言動についても「愛するがゆえ」と理解しながらも、批判は心の傷になっている。
 このあたりは複雑だなあ。あとがきとしてカンテラ時代にシャビを育てたジョアン・ビラの「恩師からのメッセージ」がつくのだが、ここに、こんな一節がある。

 最後に、バルサの幹部の方たちに、シャビをグアルディオラと同じ目に合わせないでほしいということをお願いしたい。バルサ出身のシャビのような選手は、生まれ育ったこのクラブで引退するべきなのです。それがカンテラでプレイする子どもたちに、なによりの道筋となるでしょう。カンテラの選手たちこそが、このクラブの生きる生命線なのです。

 バルセロナも商業主義とクラブとしての理想のせめぎ合いがあるのだなあ。
 この本では、レアルのジダンカシージャスバルセロナロナウジーニョエトー、メッシ、イニエスタ、プジョなど有名選手評も出てくる。バルセロナからレアルに移ったフィーゴを敬愛している一方で、ジダンについては微妙な評価。技術については評価しながら、人間性については留保している感じ。「ストリート・サッカー」的なずるさに感心はしているが、好きなスタイルではなさそうで、他の選手に対する論評があたたかいのに比べて、やや冷めた感じがした。
 面白かったところをいくつか抜書きすると...。
 まず、2005年に靭帯を損傷したときの話。

 リハビリは精神力との戦いだ。1日で劇的な回復がみられるものではないので、気持ちの面で不安になる。僕も、本当に自分のヒザが回復に向かっているのか心配になり、落ち込むこともあった。(略)
 僕の場合、片足立ちするだけで痛みがあり、それが消えない限り回復しているとは感じられなかった。それに、しっかりしたトレーニングをしていないから、脚の筋肉が急激に落ちていたのも不安にさせた。ただ、僕はこのケガを通じて、当たり前のことの大切さを学んだ。自分が普通にサッカーができていたことを当然と思いすぎていたのかもしれない。実際、練習中のケガが原因で表舞台から去っていった選手はたくさんいた。自分に同じことが起きて、初めてその怖さを感じていた。

 香川も同じだったのだろうなあ。そして、こう思う。

 ケガをしてみて、好きなことで生活できる自分の環境について、改めて恵まれていると思った。また、サッカーというケガが多いスポーツで、この時まで大きなケガをしてこなかったことも、逆に運がよかったのではないかとさえ感じた。だから、このケガをしっかり受け止め、ここからなにができるかを考えるようにした。

 こうして選手たちは乗り越えていくのだな。人生も同じかもしれない。
 2006-2007年シーズンに、ロナウジーニョエトーなど豪華メンバーを擁しながら、チーム内での不協和音から自壊していったことについて...

 それから数年が経ち、当時のことを振り返ってみると、すべての問題は各個人のエゴにあったのではないかと思えてくる。全選手が、チームに貢献するには、個人としてなにができるかを、もっと真剣に考えるべきだった。どんなにひとりががんばっても、それがチームではなく、自分のことだけのためにしていることならば、いい結果が生まれるはずはない。このシーズンからの教訓として、物事がいまくいかなくなった時こそ、自分ではなくチームを第一に考えなければならないことを学んだ。

 会社も同じだなあ。で、このときのバルセロナと対照的だったのが、スペイン代表チームだという。

 わかりやすいのは、ルイス・アラゴネス監督が率いたスペイン代表だ。このチームは、どんなに周りに批判されようとも、みんながチームのことだけを考えていた。批判を見返してやろうと一丸になり、結果的には2008年欧州選手権で優勝した。結局、グループのまとまりがないところに、精神的な幸せや成功はないということだ。今日も、明日もいつもチームメイトのことを考えるのが理想だ。個人はチームの役に立つべきもので、そこに十分貢献できてから自分のことを考えるべきだ。

 この本は2010年のワールドカップ南アフリカ大会の直前に書かれたものだが、スペインはこのチームでワールドカップでも優勝する。
 ルイス・アラゴネス監督は面白い人のようで、長島のように意味のよくわからない表現もあったらしいが、言葉で選手に活力を与える人だったらしい。例えば...

「点がとれない時が続いても、あまり気にしないことだ。そのうちにいやでも入るようになるから」

 これは日本代表にも通じる言葉かどうか。そして...

「トレーニングを本気でやればやるほど、それに比例して運がついてくる」

 これは1日に何度も繰り返して話していたというが、いい言葉。そして欧州選手権のドイツとの決勝の前に

「いいか、決勝はサッカーをプレイする場所ではない。勝つためだけの場所だ」

 一方、プロスポーツでの監督という職業の厳しさについてシャビはこう語る。

 結果がすべてのプロの世界では、物事がうまくいかなければ、なにかを変えなければならない。もちろんクラブはチーム内に戦犯を探すことはしなかったが、結果に対する一番の責任者は常に監督に求められるのもこの世界だ。結果が出なければ、監督を代えるのが一般的だ。理由は、25人の選手全員を代えることは不可能でも、監督だけを代えればチームが変化するからである。

 これはJリーグだけの話ではなかったのだな。またサッカーだけではなくて、野球も同じ。プロスポーツである以上、そうなるということか。
 この本では、34歳で引退すると書いているが、そうすると、再来年2014年か。残すは、あと2シーズンか。シャビは理知的な人のようだし、グアルディオラと同じように、バルセロナの監督としてカンプノウに立つ日がそのあとに来るのだろうか。