オルハン・パムク『父のトランク』
- 作者: オルハン・パムク,和久井路子
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2007/05/30
- メディア: 単行本
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トルコという国は、自らのイスラムの歴史を否定し、西欧化し、近代化することで国を発展させようとした過去がある。西欧との出会いと相克は、脱亜入欧を進めた日本と似ている。そして、日本の場合は、かなり豊かな国になったわけだが、それでも欧米化と自国の文化・歴史・風土との間で揺れ動いている。何だか近しいものを感じる。
で、この中から、いくつか、印象に残ったところを抜書きすると...
小説を読むということは、作家の想像力とも、またわたしたちが属しており、好奇心でいじっている現実世界とも直面するということです。片隅に座って、あるいは寝床に、長椅子に寝そべって小説を読んでいる時、わたしたちの想像力は小説の世界と自分たちの世界の間で絶えず往来します。今やわたしたちは、行ったこともない、よく知ってもいない、わかってもいない「もうひとつの」世界を、小説を読みながら想像し始めます。あるいは、自分たちのよく知っている人に似た人の魂の深みに向かって、同じような旅をします。(略)読者も、作者自身のように、空想力を駆使して他者を想像しようとしています。自分たちを他者の場所に置こうとしているのです。それが、寛容や謙虚、優しさ、憐憫、愛がわたしたちの心の中で動き出す瞬間です。良い文学が語りかけるものは、裁く力ではありません。自分を他者の立場に置くことができる能力なのです。
ヒットラーの本棚には小説がなかったという。オウムのエリートたちは本はよく読んでいたが、小説は読んでいなかったという話を聞いたことがある。小説を読むことは、寛容や謙虚さに通じていくのだなあ、と改めて思う。
次に、EURO加盟で議論になっているトルコとヨーロッパの関係について(ドイツでの講演)
トルコとトルコ人がヨーロッパとドイツに差し出さねばならない第一のものは、言うまでもなく平和です。モスレムの国がヨーロッパに加わりたいと望み、その平和的意図が認められることがヨーロッパとドイツにもたらす安全と力です。子どもの頃や若い頃にわたしが読んだ偉大な小説の作家たちは、ヨーロッパをキリスト教信仰によってではなくて、個人によって示しました。自らの解放を、創造性を、そして夢を実現すべく努力する主人公たちによってヨーロッパを描いたがゆえに、これらの小説はわたしの心に響いたのでした。ヨーロッパが西以外の世界で尊敬されるのは、自由、平等、同胞意識を育んだためなのです。ヨーロッパの精神が、啓蒙と平等と民主主義であるならば、もしそれが平和に基礎を置く連合ならば、トルコはそこに位置を占めるべきです。自らを狭隘なキリスト教のことばで定義するヨーロッパは、あたかも宗教からのみ力を得ようとするトルコのように、現実性を欠いた、未来ではなくて過去に縛られた、内に向いたものとなるでしょう。
これなども説得力がある。そして、この文章の後に、サッカーでは既にトルコはヨーロッパ・カップで試合をしているという。そう言われてみれば、トルコはUEFA(欧州サッカー連盟)に加盟しており、欧州チャンピオンズリーグにも出ている。こうして考えると、サッカーのほうが進んでいるのだな。
最後に対談から…
私が本を書いている目的に一つは、東と西、どちらが先かとか、東が西に影響したとか西に東が影響したとか、どちらがいいとかではありません。私のテーマは、だれが最初にしたかではなくて、外から来たもの、自分の伝統でないものを受け入れた場合は、新しい何かを教えられたとき、他の人から新しい何かをならったことが、元の自分の何かを失う。人間の心の中が傷つくというか、残念な気持ちというか、これはうちのものではない、自分のものではない、これを受け入れることによって自分の伝統とかアイデンティティが失われるんじゃないかみたいな恐怖心、心の痛み、それを書きたい。それも一つのねらいです。
自分の関心は、東と西とどちらが正しいか、どちらかがいいのかではなくて、あるものが他の方に移ったとき、失った方の心が痛みますね。人の心の痛み、悲哀、そこが書きたかったのです。一つには誇りが傷つくわけですね。それが一番書きたいところです。
このあたり日本にも共通するテーマだなあ。というわけで、代表作といわれる『雪』だけではなくて、『イスタンブール』『わたしの名は紅』も読んでみたくななった。
最後に目次で内容を見ると…
I 父のトランクーーノーベル文学賞受賞講演
II 内容された作者
III カルスで、そしてフランクフルトで
[附]
1 書くことが私を救うーーノーベル賞授賞式直前インタビュー
2 「東」と「西」を超えてーー来日特別対談(オルハン・パムク、佐藤亜紀)
刺激的な本でした。世界には、いろいろな作家がいるのだな。