ジョン・アカロフ、ロバート・J・シラー『アニマルスピリット』

アニマルスピリット

アニマルスピリット

 副題に「人間の心理がマクロ経済を動かす」。アカロフ、シラーという現代経済学最前線のエコノミストによる本。「アニマルスピリット」とは起業家精神とか、ポジティブな言葉に訳されて使われることが多いが、ここでの「アニマルスピリット」は本来、ケインズが使っていた非合理的な人間行動全般といってもいい。経済学では、人間を合理的な主体と仮定して取り扱うのだが、それでは割り切れない。数量経済学にしても金融工学にしても、数式で全てと解こうとするが、そこに人間が介在する限り、いつも数式通りの結果になるとは限らない。これはマーケットを見れば、よくわかる。なぜバブルが生まれ、バブルは崩壊するのか。なぜ何度も何度も恐慌の瀬戸際に追いやられるのか−−などなど、いま直面する経済問題を理解するためのリアルな経済学を教えてくれる。リーマン・ショック後の世界からアベノミクスに至るまで、どのように経済を見ていけばいいのかがわかり、刺激的で、面白かった。
 目次で、内容を見ると...

第I部 アニマルスピリット
 第1章 安心とその乗数
 第2章 公平さ
 第3章 腐敗と背信
 第4章 貨幣錯覚
 第5章 物語
第II部 八つの質問とその回答
 第6章 なぜ経済は不況に陥るのか?
 第7章 なぜ中央銀行は経済に対して(持つ場合には)力を持つのか?
  付記 目下の金融危機とその対策
 第8章 なぜ仕事が見つからない人がいるのか?
 第9章 なぜインフレと失業はトレードオフ関係にあるのか?
 第10章 なぜ未来のための貯蓄はこれほどいい加減なのか?
 第11章 なぜ金融価格と企業投資はこんなに変動が激しいのか?
 第12章 なぜ不動産価格には周期性があるのか?
 第13章 なぜ黒人には特殊な貧困があるのか?
 第14章 結論

 目次にあるように「アニマルスピリット」は、人間の中にある「安心」「公平」「腐敗と背信」「貨幣錯覚」「物語」の5つに要約されている。第II部で、実例をあげながら、解説されていくが、この5要素を使うことで、経済のさまざまな動きを分析することができる。特に経済政策を立案する場合に重要だなあ。そして、このなかに「物語」があることが面白い。「物語」はバブルを形成する上で、大きな役割を果たしているし、それは理解できる。アベノミクスも一つの「物語」で、それが「安心」を生み、現在のマーケットの活況を生み出しているのだろう。インフレ目標論は「貨幣錯覚」のための政策ともいえる。一方で、アベノミクスは「公平」と「腐敗と背信」をどうコントロールするのかが課題なのだろうなあ−−とか、現実に応用して考えることができる。
 経済学における「アニマルスピリット」の発見者であるケインズは自分自身、ヘッジファンドの先駆けともいえる投機家で、マーケットに詳しかったというが、このアニマルスピリットをめぐる分析は、短期トレードの人たちのマーケット分析論に共通するものがある。アニマルスピリットを先読みすることで、相場の振れを先取りしようとしているのが、トレーダーという感じがする。ソロスなども、この本と同じなような分析手法を使っているように見える。
 で、多少、本筋とは関係ないところも含めて、興味深かったところを抜書きすると...

 文芸分析家は、物語にはパターンがあると論じている。かれらは、ごく少数の反響しあう物語が、名前と細部だけを変えて人類史を通じて何度も何度も語り直されてきたのだと述べる。1916年、ジョルジュ・ポルティは大胆にも、劇的な状況というのはたった36種類しかないのだと述べた。ロナルド・トバイアスは1993年に、根源的なプロットはたった20種類しかないと述べた。かれはそれを「探求、冒険、追跡、救出、脱出、復讐、謎、競争、負け犬、誘惑、変身、変化、成熟、愛、禁断の愛、犠牲、発見、過剰の不幸、上昇、下降」と分類している。もちろんこうした著者たちは人間物語のあらゆるバリエーションを把握したわけではないが、でも各種の分類は現実にかなり近くて、真実味を帯びている。

 なるほど。これは経済の世界にも通じるかも(もっとバリエーションは少ないか)。そして、次から次へと尽きない金融詐欺の話が道具立ては新しくなっても、どこか似通っているのも、物語の構造は変わらないからだろうなあ。
 デフレ下で名目賃金を上げることが経済回復の解決にはならないことについて...

 (大恐慌下の米国の)経済政策が名目賃金水準にばかりこだわったのは、世間が貨幣錯覚にばかりとらわれていたからだ。かれらは根深い貨幣錯覚のために、まともな経済政策から完全に目をそらしてしまったのだ。
 政策は本当の問題を見失った。大恐慌では、安心があまりに粉砕されてしまい、銀行は融資しないまま大金を手元におき、金利が異常に低いのに企業は新規資本を投資したがらなかった。こんな状況では、名目賃金をどういじろうと−−それを上げようと下げようと−−根本的な問題の解決にはならない。低い需要すなわち低い雇用の主因は、全般的な安心の喪失だ。資本主義そのものの未来に関する本当の恐れも、この安心喪失の一要因であり、これが大恐慌を長引かさせた。

 これも現代の日本に通じるような話。根本にあるのは「日本の未来」に対する安心の喪失かもしれない。安倍政権・黒田日銀の現時点までの最大の成果は、この「安心」を生み出しつつあることだろう。白川日銀は、その発言で「不安」をふりまいていた。また、デフレ下での名目賃金の維持は、実質賃金の上昇であり、経営者は利益確保のために雇用の削減に動く、という話が出てくる。しかし、いくら実質賃金が上がったと言われても(現実に物価が下がることで購買力は上がっているわけだが)、実感はないわけで、このあたりが貨幣錯覚を生み出す。貨幣錯覚がもたらす負のスパイラルは、この10年、20年、日本が経験したことだなあ。
 大恐慌のあと、1930年代は、共産主義、ナチズム、ファシズム全体主義が勃興した時代でもあったわけだが、この時代、米国の経営者は資本主義の未来に悲観していたという。1941年11月にフォーチュン誌が戦後の経済体制について米国企業の経営者にアンケートした。その結果は...

1 おおむね戦前と同じ自由産業制度が回復するが、そのときの状況に対応して変更が加えられる(7.2%)
2 これまで民間管理下にあった多くの公共サービスを政府が負担するようになるが、民間事業にはまだ多くの機会が残される(52.4%)
3 半ば社会主義的な社会となり、営利企業制が機能する余地はほとんどなくなる(36.7%)
4 ファシスト共産主義の路線に沿った、完全な経済専制主義(3.7%)
 9割以上の重役たちが、国の経済にすさまじい構造改革が生じて、事業投資の期待収益が減ることになると予想していたわけだ。これはかれらが大恐慌の間にほとんど投資しなかった理由としては、明らかにもっともらしい。

 なるほど、自信喪失の米国だったわけだ、今の日本と同じように。ただ、続けて、こんな話も...

 だが大恐慌の規模と長期性は、政府規制や行動、そしてその結果生じた産業界の不安以上のものが原因だったようだ。1930年代が悲惨なかたちで続くにつれて、深い経済的な倦怠感が生じた。当時の多くの観察者がこの倦怠感を記録しているが、その観察は現代の経済学者たちには無視されがちだ。現代の経済学者たちは、今日科学的に検証できない、市場心理についての同時代の評価など無価値だと考えるのが普通で、計測できるものに専念したがるからだ。

 「倦怠感」、わかるなあ。これもまた「失われた20年」の日本に共通している。この倦怠感を安倍政権が払拭できるのかどうか。そこが勝負なのだろうなあ−−とか、今の日本に引き比べて、読める刺激的な本でした。