「攻撃的」という言葉が日本を狂わせてしまったのかなあ

 グループリーグ最終戦、コロンビア戦を前にオシムの言葉...

日本らしいスタイルとは、かならずしも攻撃的ということではない。日本人の特長を生かし、組織的かつアグレッシブ(積極的)にプレーを続けることだ。

 そうなんだよなあ。いつの間にか、攻撃的サッカー信仰が出来てしまった感じがする。それも、パスサッカーによる攻撃的サッカー信仰。守るときは守るし、攻めるときは攻める。外国勢の試合を見ていても、めちゃくちゃ攻撃的なフォワードが最終ラインまで戻って献身的な守備をしていたりする。オシムが言うように「組織的かつアグレッシブなプレーを続けること」が大切だなあ。スペイン・リーグで、バルセロナレアル・マドリードを抑えて優勝したシメオネ監督のアトレティコ・マドリードを見ていても、「組織的かつアグレッシブなプレーを90分間続けること」がいかに重要か、そして有効かがわかるもんなあ。それが強さであることが。バルセロナとの最終戦は感動的だったもの。
 今回のワールドカップになって「自分たちらしさ」とか「攻撃的」とかいうことが乱舞するのを聞いていると、何だか太平洋戦争の「大和魂」の乱舞・乱用を思い起こしてしまう。日露戦争のように自分の強さと弱さを直視し、科学的思考と戦略性に基づいた決断と行動が失われ、空疎な精神主義に堕していくような...。太平洋戦争のように同じ戦術ばかりを使って、そのうちに連合軍に対応されて、撃破されてしまったような...。実は勝利の中に敗因が芽吹いていたような...。演習(親善試合)と実戦(ワールドカップ)は違うのに、勝利に酔って言葉が踊っているような印象がどうも拭えない。メディアが踊らせたのか、選手が踊ったのか、そのあたりはよくわからないけど...。「自分らしさ=攻撃的」に、どうも違和感があったのだけど、オシムもそう感じていたのかなあ。
 NHKを含め、ワールドカップ前のドキュメンタリーは、どれもザッケローニの攻撃サッカーはすごい、だったけど、それってワールドカップが終わってから、いう話で、まだ何もなしとげていない時期に、神格化に走りすぎているんじゃないかと思っていたら、こんな状況に...。でも、明日一発大逆転すれば、ザッケローニはまた神になるのだろうが...。
Number PLUS「イビチャ・オシム 日本サッカーに告ぐ 2014」 [ムック] 明日はどんな戦いになるのだろう。ザッケローニは落ち着いた指揮がとれるのか。それともアジアカップを頂点とした成功パターンにとらわれ、いつものメンバーでコンディションも何も関係なく戦うのか...。オシムの指揮するジャパンを見たかったなあ。オシムは時にシニカルに、時にユーモアを交え、表現豊かに言葉を駆使するが、複雑な歴史のなかで生きてきた現実主義のサラエボっ子だから、言葉に踊ろさられることもない。理想を持ちながらも、どう現実と対応していくのかを考え、道を探して前進していく。そんな姿が好きだけど。一方のザッケローニは温厚なように見えて、意外と頑固で、思い込みが激しい感じがする。それと危機的状況に陥ると、意外とパニクるような...。
 まあ、最後の一戦、大番狂わせの大逆転を見たいけど(ギリシャにも頑張ってもらって)。明日の先発メンバーを見ると、試合の行方がわかるだろうか。コロンビアの監督のペケルマンは岡田前監督の後任候補の一人としてリストアップされ、いまもザッケローニのあとの次期監督候補という声があるようだが、コロンビア戦を通じて、日本にみっちりとサッカーの攻めと守りを教えてやろうなんて、思わなければいいけど。
ペケルマン監督「日本は私に関心を持っている」 (ゲキサカ) - Yahoo!ニュース