岡村青『十九歳のテロルの季節−−ライシャワー米駐日大使刺傷事件』:犯人の少年は精神病院で自殺していた

 先日、韓国で駐韓米国大使が襲われる事件があり、それに関連してライシャワー駐日大使が刺された事件を思い出し、ライシャワー事件本を探して見つけた本。事件当日の模様から入り、日本語も堪能な学者大使だったライシャワー氏の来歴、犯人の19歳の少年のそれまでとその後をレポートする。ライシャワー事件が発生したのは1964年(昭和39年)だが、その前、1960年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の犯人は17歳。中央公論社社長宅で家政婦が殺された嶋中事件の犯人が17歳。そしてライシャワー事件が19歳。いずれも少年犯罪だったのだなあ。浅沼事件、嶋中事件はいずれも右翼少年だったが、ライシャワー事件は統合失調症患者であり、思想的な背景のない突発的で特殊な事件とされた。時期も60年安保からしばらく経ち、東京オリンピックの年でもあり、そこからも両者は印象が異なる。
 浅沼事件を起こした山口二矢は少年鑑別所で自決したことは知っていたが、この本を読んで、ライシャワー事件の犯人が都立松沢病院の病棟で1971年に自殺していたことを初めて知った。精神科で治療を受けていたが、回復、退院には至らなかったのだ。死亡が事件7年後であったとことも、ライシャワー事件の犯人の印象を薄くしているのだな。
 目次で内容を見ると...

第1章 「ライシャワー米駐日大使刺傷さる」
第2章 決行以前
第3章 民主主義の体現者として
第4章 テロルの季節
第5章 聖戦、いまだ完遂せず

 沢木耕太郎が浅沼事件を描いた『テロルの決算』と同じ路線を狙ったような感じもするが、ライシャワー事件の犯人には山口二矢ほどの陰影が見えない。ちなみに、著者の執筆の目的は「あとがき」で吐露されている。

 ともあれ、筆者がなぜこうしたものに取り組む気になったか。それはプロローグのところでも既に述べたことだが、少年には政治的、思想的背景はまったくない、精神異常者、としたマスコミや司法当局に対し、いやあるのだ、大いなる確信犯なのだ、と塩谷少年にかわって筆者が訴えたい、という思いがまず初めにあったからだ。
 塩谷少年は死の直前まで「東条崇拝」にとり憑かれていた。むしろ彼の精神は、自分を東条に同化せしめるまでに高揚していたぐらいだ。それ故、東条が貫徹を試みようとしてついに成し得なかった「聖戦」を、彼にかわって塩谷がそれを継続しようとして、いかほども不思議はなかったのである。
 ライシャワー大使刺傷事件も自裁も、してみればその「聖戦」の延長であったにちがいない、と執筆が完了したいま、筆者はあらためて気付くのだ。

 犯罪も、精神的な病も時代の落とし子であり、時代と切り離して語ることができないということはわかるのだが、それを「政治的」「思想的」な背景とみなすもなのかどうか。そうした点の評価については疑問も残るのだが、事件と人を詳しく追っていて、事件ルポとしては興味深く読めた。

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

新装版 テロルの決算 (文春文庫)