エーコ、カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を読む。電子は儚く、紙は末永く

 週末、ネットを見ていたら、こんな記事が出ていた。

マイクロソフトは2日、マイクロソフト・ストアでの電子書籍の販売を中止し、電子書籍事業を閉鎖すると発表した。つまり、このサービスを通じて買った電子書籍は今後、読めなくなってしまう。

マイクロソフトが電子書籍事業を廃止、本は消滅……デジタル時代の「所有」とは? - BBCニュース

 マイクロソフト電子書籍事業をとりやめるので、このサービスを通じて買った本が読めなくなるという話。すぐに、この本を思い出した。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

 

 ジャン=フィリップ・ド・トナックの司会で、ウンベルト・エーコジャン=クロード・カリエールが対談した、本に関する本。エーコはご存知、『薔薇の名前』で知られる小説家にして記号学者。カリエールは知らなかったのだが、「昼顔」「小間使いの日記」「ブルジョアジーの密かな楽しみ」などのルイス・ブニュエル映画のシナリオを手がけて人で、『珍説愚説辞典』の著者でもある。ふたりとも稀代の古書収集家であると同時に博学多彩な人。

 インターネットが成長し、電子書籍が話題になり始めた2010年(Kindle前夜かな)の本なのだが、そのなかに、こんな話が出てくる。

5世紀も前に印刷された文書を私たちは読むことができるんです。しかし電子カセットや、ほんの数年前に使っていた古いCD-ROMは、いまや読むことも観ることもできません。

 デジタルは最新・最強なようでいて、まだ進化の過程にあり、新たな規格が次々と登場し、消えていく。結果、「耐久メディア(電子記憶媒体)ほどはかないものはない」ということになってしまう。電子ブックサービスにしても、サービス提供がどこまで続くのかは不透明で、マイクロソフト電子書籍事業はいい例なのだな。

 昔、「おばあちゃんとぼくと」というCD-ROMで提供されたマルチメディア絵本があって、高く評価されていたが、その当時、この名作CD-ROMを読んだ子供がおとなになったとき、かれらの子どもや孫が果たして、このCD-ROMを読むことができるだろうか、と疑問を呈した人がいたが、その通りになってしまった。親子から子や孫へと行く世代も読み継がれる紙の絵本とは違う。アマゾンをみると、いまも中古品が売られているようだが、MacもCD-ROMを標準装備していないし、そもそも現在のmacOSで動くのかな。

リビングブックス おばあちゃんとぼくと

リビングブックス おばあちゃんとぼくと

 

 で、この本、電子の儚さを語っているからといって、単なる本好きの、やっぱり本っていいよねえ、もう、これしかないよね、という代物ではない。エーコの本なのだから、そんな単純な話で終わるはずもない。話題はもっと深く、広い。知識、情報、教養、人間、歴史、さまざまな面に及ぶ。

 それに紙の本の寿命が長いからといって、歴史のなかで最高、最良の作品が選ばれ、今に残っているわけでもない。災害や戦争によって失われるものもあれば、政治、宗教さまざまな面で、その時代の権力者の意に沿わず、燃やされ、抹殺されてしまったものもある。印刷以前、写本の時代となると、その時代、その時代の嗜好も影響する。最高の本は既に歴史の闇の中に消えてしまっているかもしれない。

 序文で、司会役のトナックは、ギリシャ3大悲劇詩人を例に、こんな話を紹介している。

アリストテレスは、悲劇について論じ た『詩学』のなかで、当時の代表的な悲劇詩人たちの名前を列挙しながら、我らが三大悲劇詩人の誰についてもまったく触れていませ ん。我々が失ったものは、今日まで残ったものに 比べ て、より優れた、ギリシャ演劇を代表するものとしてよりふさわしいものだっ たのでしょうか。この先誰がこの疑念を晴らしてくれるのでしょ う。

 口伝、写本、あるいは印刷初期の少部数出版の時代に、どれだけのものが消えていったのか、わからない。そういえば、地中海の海底から発見された古代ギリシャが生み出した機械式コンピュータ発見の話をレポートした『アンティキテラ 古代ギリシャのコンピュータ』のなかでも、古代ギリシャの芸術に関する本はあっても、科学文明に関する文献は残っていないという話が出ていた*1

アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ (文春文庫)

アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ (文春文庫)

 

 最後に目次で内容を見ると...

本は死なない

耐久メディアほどはかないものはない

鶏が道を横切らなくなるのには1世紀かかった

ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること

落選者たちの復活戦

今日出版されている本はいずれもポスト・インキュナブラである

是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち

過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している

何によっても止められない自己顕示

珍説愚説礼賛

インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性

炎による検閲

我々が読まなかったすべての本

祭壇上のミサ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本

死んだあと蔵書をどうするか

 2010年の本で、それから、かなり時間も立っているわけだが、この本で提起されている問題の数々は今も古くなることはない。日本でも、コピペ本と揶揄される歴史書のようなものが大ベストセラーとなって、怒っている人たちがいるが、こうした本も長い歴史の流れの中からみれば、特に珍しいものではないのかもしれない。古今東西、珍説愚説本は山ほどあったわけで、どれだけの生命力を持つ本なのかが注目点かもしれない。少なくとも時代の空気を知る参考文献にはなるのだろう。

 本に対する愛おしさが増すと同時に、さまざまなことを考えさせてくれる本です。といいながら、自分は、これを紙の本ではなく、Kindleで読んでしまった。

 で、次はこの本を読んでみるかな。

珍説愚説辞典

珍説愚説辞典